カンカンと鉄の板でできた階段を上る、いくらかの模様、踵を蹴り上げてなんだか金槌を思い浮かべる。この暑い日にそれはないなと取り消して、インターホンを鳴らせばドアに隙間ができて、右手にはビニール袋を引っ提げながら幽霊のようにするりと中へ入ればそこは安全地帯。エアコンくらいあってもおかしくない古泉の部屋には扇風機ひとつない。
(夏なのに)
健全な男子高校生がふたり、外にも出かけないで一体何をやっているんだろうね。
一人暮らし用の、比較的小さいであろう冷蔵庫を開ければ入っていたのはミネラルウォーターと自分が持ってきた桃が2つほど。なぜ桃かというと、母方の実家から大量に送られてきたそれは近所に配っても配り足りなかったらしく、こうして古泉の家にまで範囲を広げていた。
空気しか入っていないビニール袋を放り投げて、暑くて動く気にもならん、と俺はベットを背もたれ代わりにしていたわけだけれど、そろそろ小腹も空く頃合で、隣で文庫本に目を通している好青年に目を細める。こうしていればただの男子高校生、それも割合女子に人気のある顔をした、と思ったところで視線を感じた古泉が首をかしげるようにこちらを振り返った。何の本かと問えばブックカバーを外し、その表紙をこちらへ向けた。なんだか共感できそうにないタイトルだった。
「長門さんを見習ってみようかと思いまして」
黙っていても居心地が悪いわけでもなく、生温い空気を一緒に供給することでお互いの距離を測っている、俺はそんな気持ちで肺に呼吸を促している。ふ、と吐き出してみたところで伏せられた睫が俺に向けられるわけではないのだ。
「桃、もう冷えてっかな」
すでに熟している果実はプラスチック製の白い箱の中で着々と腐る準備を始めているのだろう。
「見てきましょうか」
テーブルの上に置かれた1センチほどの紙の厚みから飛び出たしおりを引き抜いたら古泉はどんな反応を示すだろうか。実にくだらない。
裸足の古泉の足跡を追いかけるように辿れば電気の鈍く走る音がじりじりと耳の中で焼けていくようだ。
「食べますか?」
おそらく冷えているかと思いますが、と付け足して呟く、それに俺はああ、とかうん、とか適当に返事をして、薄い色した果実を大事そうに持つ指の先を思う。俺よりも器用だとばかり思っていた古泉は不思議と妙なところで不器用だったりする奴で、その様を見届けて時々苦笑する。そうしてやはり仄かに甘いような匂いがふわりと漂い、鼻先を掠める。台所には薄紅色の果実を持った青年がひとり桃の皮を剥く、その手先を見つめていた。驚くかな、と細い手首を掴んで桃に口をつければ、わ、とかそんなような声が宙を舞って乾燥したくちびるが桃の果汁で濡れる。
「おいしい」
そんな俺を見た古泉は表情を浮かべるのを忘れたような腑抜けた顔をしていたものだから、なんだかおかしくって、少し笑った。ただひとりの人間だ、と古泉は自分のことをそう言ったことがあるのだけれど、俺はそれを思い出す。
(そうだ、だからお前はこうして俺の隣にいてくれれば、なんて)
甘く染まっていく指がその先を示す、目を細めて、見据えたその世界の続きを。
「待ってっから、」
あとよろしくな、そう言い残し台所を後にして、ぼんやりと突っ立っている古泉を瞼の裏に描いた。



ノエマの果実