冷たい手だな、と彼は(心底嫌そうな顔で僕に)呟いた。


シーガル


つい先日まで蝉が鳴いていたと思えば今にも落ちた枯葉を踏むような季節を越え吐く息が白くなってしまったことに僕は気がつかないふりをする。放課後の教室は凍りついた匂いに満たされていて、帰る準備をした後だったからかもしくはまだその行動の途中なのか、彼はマフラーをぐるぐる巻きにしていた。
「マフラー、外さないんですか」
問えば、涼宮さんの前では決して見せない、いや、僕の前でしか見せない顔で彼は答える。
「寒いだろ」
その無表情で冷たい目線を向けられると背中がぞわぞわと粟立つ感触がして、部屋の温度がまた1℃、下がる。涼宮さんの前ではどうしてか、僕たちは笑いあう。あたかも仲のよい普通の友達のように振舞うのが暗黙のルールとなっていて、それを破ったことは一度もないしこれからだってない。
「笑ってくださいよ」
引きつる頬の筋肉を無理矢理吊り上げて、彼のほっぺたに触れようとした。伸ばした手は見事に阻止されて、僕の手を掴んだ後のまるで気味の悪いものを見たような顔は少々苛立ちが混ざっているように思う。冷たい手だな、と彼は吐き捨てるように呟いた。そしてさもゴミを扱うかのようにその手は振り解かれる。襟元を結んでいた赤いネクタイをぐいと引っ張られて、息が詰まりそうになる。そうでなくても氷のような彼の、焦点のない目がこちらを見据えていると思うだけでも胸がずきずきするというのに。顔と顔の距離がとんでもなく近いところで、彼は数秒間、覗き込まれているようなその状態を続けた。僕は時間が止まったかのような錯覚を受けながら、目のやり場に困って眉を顰めて薄く瞬きをする。するりと繋いでいた赤い布のすれる音、襟元の圧迫感は消えたけれど肺の辺りで膨らんでいくそれはいつまでたっても慣れない。
「脱がせば?」
なんだろうこの誘い文句は、と僕は頭の後ろのほうで考えながら、恐る恐る彼のマフラーに手を掛ける。やわらかな感触を彼から奪ってしまうと、それを机の上に置いた。ぐしゃぐしゃのまま、まるで今の自分のようだなとぼんやり思う。上着を脱がせて、赤いネクタイをゆるませ、ワイシャツのボタンを弾かせる。ああどうして彼の思い通りになっているのだろう。どうしてかはわからない。理性は働いているのに何らかの衝動が僕を動かしていた。開けたワイシャツの隙間から見えた肌に僕は欲情しそうだと思った。
「見ても、いいですか」
広げることができずにいたそれを指せば、彼は引きつったような笑いを僕に向けるだけだった。指先が滑らかな皮膚の上をなぞりながら白を切り開く。なぜだか苦しくてもどかしいような感情を胸に潜ませながら、それを眺めていた。珍しく、彼が僕の髪を撫でるように触れてきたので、僕はとても驚いた。そのまま顔が近づいてきて、口付けられる。

「気持ち悪い、」

嘲るような表情は凍てつく香りを放ち、この部屋の寒さはまた彼を苛立たせた。