窓の向こうから漂ってくる、塩素のような匂いとむわりとした湿気が鼻腔をくすぐる。どの学校もじきにプール開きが行われようとしていて、その清掃のために放課後何人かの生徒が狩り出されていた。
遠くではしゃぐ女生徒たちの声を耳にしながら、机の上に置きっぱなしだったスポーツドリンクに口をつけると、ぬるくなったそれはべたりと呼吸器官に張り付くようで、少し不快だ。それでも多少喉が潤ったことに安堵して息を吐くと、前の席に座っている人物からじっと視線が向けられていて、いる?と刻阪響は尋ねた。
サンキュ、と神峰翔太は青いラベルのペットボトルを受け取ると、残り僅かなそれをためらうことなくごくごくと飲み干した。無防備にさらされた喉仏が動くのを見て、ああ、夏がもうすぐやって来る、彼によく似合う季節だと思うのだった。
シャツの胸元を開けている神峰はさっそく半袖を着ているが、刻阪自身はまだ春を引きずったように長袖のままでいた。
二人って対照的だねと誰かから言われた一言を思い返しながら、袖から伸びた腕の、健康的な色に焼けていくその素肌を思った。
「刻阪、ほんの少しだけ髪切った?」
うん、と頷くと、すべてを掴む手がふわりと降りてくるのがわかって、そのまっすぐな視線から目を逸らせずにいた。
頬にかかる髪から、切り揃えたばかりの首の後ろを撫でて、丁寧な手つきで、健全な触れ方でそれは行われる。うなじに指先がそろりと合わさって、されるがままにしているとなんだかひどく居心地がよくて、却って不安な気持ちがよぎる。
「肌、すべすべしてるのな」
首筋を辿って顔の輪郭を撫で上げ、その柔らかな頬を、大きな手のひらが包み込んでいく。それこそ何の意識もしていない、平然とした表情でそんなことをやってのけるのだからたちが悪い。心拍数が上がって、呼吸も少しずつ乱れていく、ぎゅうと握り締めた手が汗ばんでいくのがわかる。
かみね、もう、と音を上げてしまえば、あ、と彼はようやくそれに気がついたようだった。
そのとき丁度チャイムが鳴って、部活動に向かわなければならないことを二人に知らせた。
名残惜しさが相まってお互いその空気を壊せずにいると、ふいに影が落ちてくる。刻阪、と名前を呼ばれる頃には、最後に指先が触れていたところに唇がそっと落とされるのだった。
「親しみの挨拶、なんだろ」
ベルリンのオーケストラの話をしたときに、海外の挨拶の流れになったことを思い出す。
神峰は机の横に掛けていた鞄を乱暴に掴むと、照れ隠しのように肩の後ろに回して背を向けた。そうして数秒後の未来で彼が振り向くことも、その先で何という言葉を投げかけるかまでも刻阪はわかっていながら、それを待つ。
彼らの夏が、始まろうとしていた。



# グ ラ フ ィ カ ル 、 夏 、 透 明







私のミューズ・かっそさんへ(お誕生日おめでとう) 20140603