「壬、顔近づけて」
咲良のその声が聞こえてからややあって、川和はその言葉通り大きな背を屈めて、姿勢を低くした。
「もっともーーっと近く」
まるで子供がせがむみたいに言うので仕方なく、咲良の大きな瞳の中に自分しか映らないのでは、と思うくらいに顔を近づけた。普段から接する距離は近かったからなんてことはないけれど、こんなにも間近で顔を見合わせたのはこの歳になって初めてかもしれない。小さなころは、背丈も今ほど変わらなかったので。
生え揃った睫が鮮明に見え、長い影を落とす様がきれいだなと川和はぼんやり思っていたのだけれど、壬、と熱っぽい声で名前を囁かれて、どきんと心臓が跳ねたのが自分でもわかった。咲良はそのままそっと瞼をおろして、肩の力を抜いてみせる。リラックスと無防備が混じり合わさり、誘惑となって川和を誘う。鼓動がどんどん大きくなっているような気がして、川和は手のひらを静かに握り込めた。どういう意味だろうと考えながら、直球で差し出されたそれを見て、川和は暫く悩み、ちゃんと確かめてからしようと結論付けたそのときだった。
瞬間、咲良はぱちりと目を見開いて川和を見るなり、ぶはぁと吹き出したように笑いはじめたのだ。
「だっせー!ねえねえ動揺した?」
涙ぐみながら爆笑している咲良に、川和はほとほと呆れ、ため息を吐く。
少しは心乱れた?などと咲良は何度も聞いてくるので、黙れ、と一蹴するけれどあまり効果はなかった。図星だったことも見え見えで、だって川和はあと数秒遅かったら聞いてしまうところだった。キスしてもいいか、と。……
はー面白かったと満足した咲良は再び、壬、といつもの調子で話しかける。
「昨日さ、俺が寝てる間にしたろ」
一瞬、耳を疑った。お決まりのサイダー買ってきて、と同じトーンだったせいもあってか、川和は珍しく動揺した。表情には出さないものの、さっきよりもずっと心が揺れている。思い当たる節があったからだ。
「……何をだ」
普段通りの声で喋れただろうか。平静を保てていない自分は、まるで自分じゃないみたいだ。
「言ってもいいの?」
たった数秒の沈黙だったけれど、それはとても長く感じられた。このまま永遠になるのかもしれないな、と思い始めたころ、コンコンと扉から音がして、検診の時間ですと看護師が言うので川和はようやく落ち着きを取り戻す。
「じゃあ、俺は帰るな」
至って自然な動作で鞄を手に持ち、軽く会釈をして扉を閉めたときだった。
「壬ー、キスしたいなら言えよなー!」
扉が閉まりきったあと耳に残ったその言葉を、川和はどう処理したらいいかわからず、ひとまず息をたくさん吸って、吐き出してみる。深呼吸したら、思わず笑いが込み上げた。こんなところで、誰がいようとお構いなしなんだから、本当、敵わないよなあと自分の心に相槌を打つ。
……川和は少し前、確かめてみようと思った。つい先ほど咲良に、思ってることは言え、と言われた。川和は明日、答え合わせをするつもりだ。



# 答 え 合 わ せ を し よ う







すわさんへ、ハッピーバースデー!20150116