週末になれば必ず尋ねることがある。
「どこか行きたいところは」「普段と変わったことは」「何か食べたいものは」
生を失わせないための質問だった。
ひとつめの答えは“お前ん家”ふたつめは“特になし”みっつめは日により変わり、それは大体病院の売店に置いてあるようなものばかりなのだが、気まぐれに“壬”とささやく、秘密めいた、けれど熱を持ったその声が俺は好きだった。
咲良の希望通り週末は俺の部屋で過ごすことがほとんどだった。彼の自宅のように至るところがバリアフリーとなっているわけではないので、咲良を二階の自室に運ぶのにはやや骨が折れる。
歩きたいと言われたので肩を貸して、まるで引きずるようにその身体を支えると、体格の違いはあれどずしりと重みがのし掛かる。俺の腕や肩は咲良のすべてを軽々としょってしまえるようにはできておらず、そうして一人の人間としての重みがまだ残っていることに安堵する。
階段に差し掛かると、俺はいつも咲良の死体を背負って森を抜ける想像をする。
死んだ人の身体というのは、生きている状態より21gほど軽いらしい。オカルト研究部の奴らがそんなことを口にしていて、全く信憑性のない話を妙に忘れきれないでいた。
消えた魂のぶんだけ、軽くなるのだ。――魂はどこへ行く? 俺は誰にも魂のゆくえの話をしたことがない。
ベッドの上に運び終えると、ふかふかの土の上に横たわる咲良がそっと目を伏せているような気がして、悪いことをしているような、けれどなぜだか胸が高鳴っていくのも同時に感じて、つまりこれは罪の意識なのだと俺は思った。
何もできず立ち尽くしていると、真緑に包まれている景観が急に変化し、森は波のように揺れ動き時の流れは加速していく。埋葬された死体は物質循環に従い分解され、土に還り、虫や木々の鮮やかな命にかわり春の息吹となって目を覚ます。
実際の生きている咲良は呼吸を荒げ、白いシーツの上で小さく呻いていた。は、と吐く息の苦しそうなこと、前髪が汗で張り付き全身にじんわりと脂汗をかいているのがわかって、俺はすぐさま踵を返そうとした。
動くほうの手でかろうじてシャツの端をゆるく掴まれて、振り返ればいつもより余裕のない咲良がそこにいた。
「いいよ、何もいらない」
ほしいものは目の前にあるから。
汗を拭うためのタオルも、喉をうるおすための飲み物も、きっと熱があるだろうから氷嚢をと、できる限りのことをしてやりたいのに、心配も、杞憂も、きれいさっぱり忘れ去らせるほどの言葉を、衝動を、咲良は俺に与えるのだった。
「気持ちいいことしよう、壬」
まるでふわりと花弁が開くように咲良は笑う。俺はそれを切り花のように思った。人間の手によって命を奪われた、美しい一輪の花。花は妖艶に俺を誘った。朝露のしずくをこめかみから一筋流して、手を腕を蔦のように這わせ、首に手をかけるかと思えばそれは過ぎ去りうなじに触れて、俺をそっと引き寄せるのだった。
二人の身体は容易にベッドに沈み込む。ぎし、とスプリングの軋む音がして、誘われるままに口付けを落とすと花はますます色づいて、淡い薄紅から真紅の赤へと変貌を遂げる。衣服の上から身体の曲線を意識するように撫で上げ、それを一枚一枚丁寧に剥いでいく。手順は染み込んだ感覚が覚えていて、こういうことをするのがもう何度目かなんて数えるのもやめてしまったし、なんだか遠い昔の出来事のように感じられるのだった。初めてしたときのことはいまだに、忘れられずにいるけれど。
咲良がこうなる前から、それを匂わせるような空気はあった。小さな頃からお互いをよく知る俺たちは、大人に近づいていくにつれこのままではいられないんだと直感で理解していた。無邪気な少年のままの心で、疑うことも知らずひたむきに互いだけを信じることが、どうしてできなかったんだろう。
それは咲良が今の状態になり、死と絶望の匂いを身に纏うようになってすぐのことだった。身体の自由がきかないということが想像以上に精神に負荷をかけていき、俺たちは日に日に消耗していった。果てしなく終わりの見えないものに向かって姿勢を正したままでいることが、立ち向かい続けることがこんなにも困難で、耐えがたいほどの苦しみを伴い、狂うこともできず、ただただ疲弊し心が擦り切れていくものと思わなかった。
マイナスの感情を吐き出す手段を持たなかった俺たちは、やがて二人でいることに対して限界を感じ始めていた。関係を壊してしまうよりは一度離れたほうがいいと立ち去ろうとした俺の手を掴んで、脈打つ剥き出しの心臓に押し当てたのは咲良だった。俺は咲良の痛みに触れて、痩せ細った身体を切り開き、時間をかけて消えない傷跡をつけていく。今もこうしてベッドの上で服を脱がせて、俺はそれをした。
不健康な色した白い素肌に舌を這わせて、平たい胸の突起を執拗に、円を描くように舐めれば切なそうに吐息を漏らす、色気を放ちながら花はそれでも水を欲し、懸命に生きていた。ゆるく反応し始めた茎に触れ、包み込むように擦ってやれば蕩けるような表情で、気持ちいいと危なげな声で俺の脳を麻痺させる。そうして徐に俺の空いているほうの手を取り、口元に当てたと思えば指の一本一本を慈しむように赤い舌先はたどる。指の股に舌を差し入れ、それは俺を試すように微笑みかけるのだった。
追いつめて追いつめられて互いに余裕がなくなる頃、振り絞るような最後の声で、いれて、と咲良は言うのだった。俺はそれを優しく手折って、自身を宛てがった。
花は散り、いつしかそれは種子を残して、大きな樹木に巣を作りその実を啄む、やがて咲良は鳥になる。籠に入れられて美しい声で鳴く鳥は、この部屋に幽閉された咲良そのものだった。熱を打ち付けながら、その切ない喘ぎ声をいつまでも聞いていたかった。
名前を呼べばそれは目だけで返事をし、見えない羽を広げて包み込むように、まるで大事な何かを守るように俺を抱く。安全だけれど何もない、無菌室のようなこの部屋に、檻に閉じ込めて鍵をかけたのは、咲良を縛りつけている他の誰でもなく俺だった。
「今、幸せ?」
ふいに問いかけた。果てたあと、息を落ち着けながらぐったりと横たわり俺の手を握っている咲良は少し驚いて、それからあどけない表情で、幸せとやわらかく吹く風のように歌うのだった。鳥はぴたりと俺に寄り添い、このまま青い空を羽ばたくことなく死んでいくことが幸福だという。性交渉を重ねるたびに咲良の肉体は生死をさまよい、精神は輪廻し続ける。ここにあるのは魂の器だけ。
死んでいく咲良の魂はどこへゆく? 俺はいつまでも咲良の手を握りしめたまま、問いかけられないでいた。

# 魂 の ゆ く え