夜、十一時すぎ、年の瀬。普段ならベッドに入り眠りにつこうとしている時間帯に、出掛ける支度をした。冷えるだろうからと入念に防寒対策をして、マフラーも手袋もつけたこと、忘れ物がないかを確認して自宅のドアを出る。 行き先は近所の神社で、県内でも有名なその社は年越しから年明け後、結構な混雑が予想される。人混みが苦手な神峰は、あまりそういった場所に近づきたがらなかった。初詣なんかも近頃は参拝客の少ないところにしか行っていないという。三が日は父方の実家で過ごすはずの神峰だったけれど、今年は祖母の体調不良により出掛けることなく家にいると言うので、刻阪はおそるおそる神峰を初詣に誘った。できれば除夜の鐘を一緒に聞こう、と。 その話をしたとき、神峰は一瞬顔がこわばり悩んでいる様子だったのだが、それでも行ってみたいと真剣に口にするものだから、そんなに気負うほどのものじゃないよと刻阪は冗談めかして笑った。もしかしたら神峰にとっては、大きなことだったのかもしれない。刻阪にとってもそれは特別なことであり、今まで幼馴染を除いて誰かと初詣に行こうなんて考えもしなかったし、大切な人と少しでも一緒にいたい、思い出を作りたいだなんて、そんなことを思うのははじめてのことだった。 近所にこんなにたくさんの人がいたのかと驚くくらいの人混みの中、なんとか神峰と合流し、少しずつ進んでいる列に紛れ込む。嫌なものでも見て悲しい顔なんてさせないように、刻阪はいつもより多く喋ろうと意識した。今年あった出来事を振り返りながら、夜の特別な雰囲気も相まって、意味もなくはしゃいでしまったりして。 並んでいる途中で、神峰は寒そうに肩を竦めて、むき出しの手のひらを顔に近づける。はーっと息を吐けば、もわもわと立ち上る白いそれを吹きかけていた。 「手、寒くないか」 問えば、神峰はどこか無理した表情をしていて、けれど刻阪の前だからと強がって笑ってみせる。 「……平気だ」 その様子を見た刻阪は手袋を外し、神峰の手を取った。ぎゅうと包み込み、祈るみたいに温めたあと、左手につけてと片方の手袋を渡す。 「それじゃお前が寒いだろ」 困惑する神峰に、刻阪は平気だと先ほどの言葉をそのまま返してみせる。 なぜかというと、と口にした瞬間、さっと神峰の右手を奪い、そのままダッフルコートのポケットに突っ込んでしまう。そうして刻阪は少女のような可憐さすら携えて、ゆっくりと微笑んでみせるのだった。 年が明けて、除夜の鐘が鳴る。染み渡る日本の音に耳を澄ませて、神聖な気持ちのままお参りをしたあと、今年もよろしく、と改めて挨拶をした。神峰と出会ってからの一年があっという間で、今が幸せで、満ち足りていてこんなふうな日々がずっと続けばいいのにと思う。 人混みから遠ざかり、そろそろ家に戻らなくてはいけない頃合に、帰りたくないな、と刻阪は小さく呟いた。そうだなと神峰も同意するけれど、それきり押し黙って俯いてしまう。 「このまま僕の家に泊まればいいよ」 閃いた、とでもいうふうに刻阪は言うけれど、神峰は心配そうな顔をしたままで好意的にはなれなかった。 「でも突然、迷惑じゃないのか」 大丈夫だよ、今までそんなこと何度もあったろ、と刻阪は神峰の手を取り歩き出してしまう。 刻阪の家についてから、親御さんに挨拶しようとしたけれど電気はおろか静まり返った玄関を見て、普通に寝てるよなと神峰は考えを改める。 来客用の布団だけ取ってくるから先にあがってて、と刻阪は靴を脱ぎ捨てどこかへ行ってしまった。いつもはきれいに揃えるのになぁ、あいつ浮かれてるなと神峰は自分の靴と一緒にそれを直してやった。階段を上り、誰もいないであろう二階の、通路に出て左側にある扉を開くのにももう慣れた。 部屋の明かりをつければ、いつもの刻阪の匂いがするなと思う。ふっと息を吐くと安心したのか急な眠気に襲われた。久しぶりにあんな人混みに行ったのに、なんだか今日は楽しかったなあ。視界がぼやけて、勝手に瞼が降りてくる。…… 神峰、ここで寝ちゃだめだよと揺すられて目を開けると刻阪が心配そうにこちらを覗き込んでいた。いつの間にか布団は敷かれており、暖房も効きはじめていたからコートを着たままの神峰は少し汗ばんできていた。 着替える?と聞かれたのでお言葉に甘えて刻阪の寝巻きを借りる。こんなとき同じ身長というのは本当に都合がいい。上下ともサイズがぴったりだ。 もうすでに着替えていた刻阪は、服を抜いだりしてる俺をベッドの上でじっと見つめていて、その視線がくすぐったくて、なんだよと軽く頭を小突いた。すると、この、と急に手が飛び出てきて、着替え途中だった俺は躓き覆いかぶさる形になった。刻阪はくるりと体勢を変え反撃を繰り出し、俺は俺で履きかけのズボンを引っ張り上げながらそれに応じた。二人して小さな動物にでもなったみたいにじゃれあって、気が済んだら狭いベッドの上で動けなくなってしまった。しばらくしたら敷いてもらった布団に戻らなきゃな、と考えながらスペースを気にして横になると、刻阪は少し身震いしてから、ぎゅうと俺に抱きついた。 「あったかい」 顎の下にある刻阪のさらさらした髪が、鎖骨のあたりに当たってこそばゆい。 寒いなら俺より布団だろと呆れながら、風邪をひいてしまわないよう、自分も含めてそれを器用に被せた。なんだか収まりがよくなってしまって、刻阪を抱きしめ返すと、胸のあたりがぽかぽかして、なのにそわそわするような気もして、この感じはなんだろうと神峰は少し考えてみる。 すうすうと安らかな吐息がやたら耳に残って、なのに心臓がどきどきして、刻阪の体温があたたかいからという理由だけでは済まされないようなーー俺、どうかしちまったかな?わからねぇ。刻阪に聞いてみようかな、そしたらわかるかな。 「なあ、刻阪」 もぞもぞと動いて俺を見上げた刻阪はやや窮屈そうにしていて、けれどぱちりと見開かれた目はあまりに無垢なものだったから、俺はそれを信じることにした。 「これって、友達のすることか?」 無意識のうちに出た言葉は何を意図するつもりもなく、ただ単純に思ったことを口にしたまでだったので、数秒経ってから神峰ははっとした。これ、どういうつもりで言ったことになるんだろう?変な意味に捉えられないか? 動揺して目が泳ぎ始めた神峰のことを知ってか知らずか、うーん、と刻阪は眉を顰めながら唸り、またもぞもぞと定位置に戻っていく。 そうして聞き取れないくらい小さな声で、わからない、とくぐもった音が神峰の耳に届く。 友人より親友より大事で、特別に大切にしたくて、そういう気持ちをなんと呼べばいいのか、その名前を俺はまだ知らなかった。くすぐったくて心地よくて、抱きしめたくてどきどきして、その行為に意味も理由もなくて、ただ強い気持ちで好きなのだとなんのてらいもなく思う。お互いの体温を溶かすように分け与えて、そのうち境界すらなくなっていくような感じがして、そうして夜が明けて朝が来たらきっと二人して笑い合うのだろう。 俺も、とだけ返してしまうと、なんだかまた眠くなってきて、長い間目を開けていられない。失われていく思考の中で、最後に考える。今はわからなくとも、いつか名前をつけてやる、と。 俺の胸に抱かれて眠る刻阪の背中に腕を回して、再び瞼を閉じた。きらりと光る幸せのようなものが、見えた気がした。 # 名 前 を つ け て や る |