初めて見たときから、ずっと気になっていたんだ。すらりと伸びた木のように高い背や、誰にでも優しく誠実で飾らない、ありのままの心が見える。そんな君に憧れていた。 しかしながら、入部してからというもの学年が同じとはいえど希望のパートは違ったし、なかなか二人きりで話す機会がなかった。練習中に時折すれ違う彼の姿を目に焼き付けていると、いつの間にか馴染んだ音色が頭の中で何度でも蘇る。窓に映る空に向かって、まるでその青を割るように彼の吹く音は伸びていく。真剣な眼差しの先には何があるんだろう。知りたいと沸き立つ感情を胸の奥底にしまっては、トランペットを吹くその後姿を、君を、ずっと見ていた。 あっという間に一年が過ぎ、彼は部長となった。自分のことでもないのになぜか誇らしかった。こんな僕でも何かできることはないかな、そうしていつか彼が自分の存在に気付いてくれたら、なんて浅ましい気持ちで部室の掃除をしてみたり、ぞんざいに置かれた楽譜を整理したり、少しでも彼の役に立てればという一心で日々を過ごしていた。僕の些細な日常、そうして突然その日は訪れた。 僕はというと、棚の高い場所に楽譜をしまおうとして悪戦苦闘していた。脚立に上って手を伸ばしてみるけれど、あと僅かなところで届かない。身体は鍛えられても身長は伸びないしなあ、こんなとき彼だったら、なんてぼんやり考えていたらばちが当たったのか、急に足元がふらついた。どうすることもできなくて、ぎゅっと目をつむって衝撃に備えたけれど何も起きない。いつの間にか背中を支えられていて、僕は誰かに助けてもらったようだ。 「大丈夫か?」 聞き覚えのありすぎる、低く美しいテノールの声。顔中が熱を帯びていくのがわかって、心臓が早鐘のように鳴っている。どうしよう、どうしよう、どうしよう。 「ごめん、奏馬くんのほうこそケガとかしてない?」 抱きとめられていた広い胸の感触、たくましい腕、肩に触れた長い指先。慌てて謝罪の言葉を口にしていると、ケガなんてするわけないだろ、と彼は軽く笑った。 「それより、いつも散らかってた楽譜、元に戻してくれてたの御器谷だったんだな」 僕の手元にあった楽譜を自然な動作で奪い取って、元の棚の位置に戻していく。間近で見た横顔は端正で、同い年なのに大人びている。 「ありがとう、感謝するよ」 そう言って彼は優しい柔和な笑みを僕に向けた。たったそれだけのことで僕はこんなに満たされてしまうんだ。 もうこんな時間だしそろそろ戸締りするけど、と暗くなりかけた窓の外を見やって、それから彼の恋人であるトランペットを丁寧に持ち上げた。 (なんてきれいな金色、いいな、君は愛されているんだなあ) まぶしくて、うらやましくて、遠いよ。 じんわりと染みていく胸の痛み。わかっているんだ、いつまでも臆病なままじゃ何も変わらない。踏み出すなら今なんだ。意を決して、大きく息を吸う。 「僕、君のことをもっと知りたい。もう少しだけ、君と話がしたいな」 ぎゅっと拳を握り締めて、身体のふるえも止められないまま、ありったけの思いを声にする。いきなり変なことを言って驚かせてしまっただろうなと後悔ばかりが押し寄せてくるけれど、瞬間、ふっと息の漏れる音がして、思わず俯いていた顔を上げた。 「俺なんかでよければ、いくらでも」 ただし、谺先生が来たらお開きな。そういたずらっぽく笑う彼の照れた表情といったら。 窓の外では濃い闇が空を覆っていく、星が瞬きだす夜が来て、顧問である彼女がその扉を開くまで、あと少し。 # 君 と 話 が し た い |