翌 暁 の ク ラ イ シ ス


さあ今日も練習練習、と手袋と旗の入った袋を用意して、鞄を背負おうとしたときだった。 いつもの黒くてもさもさしてる感じがないなあ、と思ったら梅原がいなかった。
「あれ、梅原は?」
問えば対する梶山もその行方を知らないらしく、二人で呆けてしまう。 仕方なく鞄を下ろし、待つかあ、と何となしに呟いて、窓際の後ろのほうの席からいつも授業中に眺めている風景を見る。 グラウンドには人影がぽつりぽつりと増え始め、ふと、土砂が崩れたような色の濁流に飲み込まれる想像をする。
「自分の夫と子供が川に流されたら、どっち助ける?みたいなのあんじゃん。あれって母親なら絶対子供助けるよなあ、・・まあそのほうが助かる確率も高いんだけど」
早々とキャッチボールをしだした部員がボールをこぼす。何やってんだよーと騒ぐ球児たちのユニフォームが眩しい。
な、俺と梅原だったらどっち選ぶ?と聞こうとして、おそらく途中まで口にしてしまってからしまった、と後悔した。 本当にただ純粋な好奇心で、意図的に聞いたわけではない、それを弁解するにはこの圧迫されるような空気を何とかしなければならない。
8月の猛暑は今の俺たちにとって残酷すぎた。

「俺、は、」
真面目な顔をした梶山の瞬きの数だとか唇の動きだとかそういうのがやけに遅く感じられて、 続きを聞くのが怖くなって、耳を塞ぎそうになる。慌てて声にする。
「梶山やっぱやめようこんな」
なんでこんなことを言ってしまったのだろう俺は梶山の気持ちを、その梶山を思う梅原の気持ちを知っていた、薄々だけれど感づいていたくせに。


「・・・俺は、お前を、」

選ぶよ、という梶山の声が嬉しくて嬉しくて恨めしいそんな自分が憎くて最低で今すぐにでもこの窓から飛び降りてやりたかった。梅原に合わす顔がない。
(俺だって梶山のことが好きだ、でもどちらかを選べと言われたら、俺はどちらも選べない、選べないよ)

「浜田、」
「やめて、もう、やめて、それ以上言わないで、」
今にも泣き出しそうなこの気持ちを知られたくなくて、みるみるうちにしわくちゃになっていく顔の表面を手で覆った。 本当は心の底では梶山は俺を選んでくれるって期待してた。梅原の目線の先を知りながら俺はその未来を奪ったんだ。そうして裏切った。

勝手に震えだす腕に、梶山の包み込むような体温が触れた。 俺はそのぬるさを振りほどくことができなかった。拒否できたのなら、俺は。
ゆっくりとまるで緊張を和らげるかのように梶山は触れる。とうとう俺は自分を守っていた指先が離れていくのを感じ、そのすべてを晒してしまった。


「俺は、最低だよ、」
嘲笑う言葉は涙となって、真っ暗闇に落ちてった。