鉄筋コンクリート


「来いって!」

「は・・、」
言葉を発する間もなく、手をつかまれた。囁かれたように思えるその言葉に俺は動揺した。そもそも、こんなところで偶然会えるなんて思いもしなかった。
一緒にいた先輩たちを振り向くことなく、進んでいく。走った末に行き着く場所は目処も立ちやしない。大体、この人はいつも何を考えているのだろう。昔からわからなかった疑問。今だってわからない。根本的に考えが違うんだ、だからこの人とは何もかもが噛みあわない。

(これは、抜け駆けってやつか?それともなんだ、駆け落ちか? それこそ笑える)


「どこ、行くんですか」
そう尋ねても、あっさりした顔で笑うから敵わない。
「どこでも」
人の群れを避けるようにして、それでもずっと手を離さなかった。いや、離すことができなかった。


急に足がぴたりと止まったかと思うと、いつのまにか人ごみとは程遠いような場所にいることに驚いた。繋がっていた体温が消えて、俺はその手をにぎりしめた。少し遠くを見渡せば住宅街も見えなくはないが、目の前では廃墟となった建物が忽然と俺を眺めている。堅いコンクリートが欠け始め、至るところに物質が溶け出したような染みがあった。入り口は、不気味に怪しい暗さを醸し出している。モノクロームだ。

「ここな、昔よく・・・あ」
懐かしい様子で、どこか一点を見据えたとき、声が途切れた。ガキの頃によく来てどうこうの話だろう。おおよその見当はついている。また手が引っ張られた。こいつの弟にでもなった気分で、手を振りほどくことなく着いていくと今にも崩れてしまいそうな、錆びた螺旋階段を伝っていった。


「俺の遊び場だったんだよな、ここ。んでさ、」

不機嫌ばかり装っていたこの人が、昔とはかけ離れた機嫌の良さで話しかけてくる。昔では考えられないことだった。あっても滅多にないことだった。人ってものはつくづく豹変する生き物だなぁなんて思うけれど、あまりいい気持ちはしなかった。胸の辺りで、もやもやとしたものが絡みついて気持ちが悪い。どうしてか、俺は不安や苛立ちばかり覚えてしまう。つらつらと並んで入ってくる音を、耳が拒んでいた。

「だから、なんだっていうんですか」

冷淡に、なんでもないように呟いてみた。言葉の暴走を止められそうにない。建物の形が崩れた窓から突き出た鋼材が、影を作っている。ゆっくりと、空の夕焼けの色が滲んでいく。

「それが俺と何の関係があるっていうんだ。そうやってあんたはいつも」

少しカサついたような、柔らかな唇が紡いだはずの言葉を制した。この感覚は、今もずっと覚えている。抵抗なんてできるはずなかった。ざらりとした感触の舌、あたたかな温度、何も変わっていない、昔のままだ。

(ああ、嫉妬か、 )

目まぐるしく思考が発展していく中で、苛々の原因がわかったとき俺はひどく安堵してしまった。密かに独占していたいという欲がまだあったのかと思うと自分にすら険相の眼差しを向けた。嫌悪感が広がる。

顔がゆっくりと離れて、小さくごめん、という声が聞こえた。消えかかったような、低くかすれた声だった。謝らなければならないのは自分もだろうということに気づいたけど何も知らないふりをして、昔みたいに嘲るように笑って、もう一度口付けた。


いつか、なにもかも忘れて上手に笑える日がくればいい。