絶 対 温 度 秋が過ぎ、空気の冷たさが身に染みる帰り道、白く立ち込める息があっという間に空中に溶けていくのを見届けると冬の物悲しさを感じた。手がかじかむように冷たい。にぎりしめることしかできなかった両手を口に宛てがって息を吐くと、ほのかな温かさが伝わる。 あの人の手はいつだって温かかった。太陽の手のひらのように。そのぬくもりを感じるたびに密かに喜憂していたことを思い出して、不意に、自分の浅ましさが恐ろしく思えて、でも、なんて愛しい手のひらだったのだろうと自白する。これからもずっと続く空白の時間を何で埋めれば、あの人に追いつけるのだろう。どこか遠い、追いつけもしないような、俺の手の届かない場所へ消えていった人をどれだけ憎めばよかったのだろう。 自分の無力さを、言葉を失うほどの衝撃を、今もまだ覚えている。 泣き腫らした目で、何の言葉をつむいだって結果は目に見えていた。結局、何も変わりはしなかった。絶望の淵まで追いつめられたかのような、考えただけで、胸苦しい気持ちがもやもやと全身を食らいつくす。対等の立場にいれば、あの人が俺の言葉に少しでも耳を傾けていれば、距離を縮めることができたらなら、・・・仮定したとしても、何一つ変わることのない事実。気持ち悪いくらいに、いっそ息苦しい気持ちに襲われる。理解しても尚思い続けている自分が、たったその一年の差が、どうしてこんなにも、苦しい。俺は一体何に敵っていてミットを構えていたのだろう。何のために、願い続けたあの一球だけのために、俺は。 ふと胸がつまるほどの香りに包まれて、渦巻いていた感情が和らいだと同時にまた別の感情がせめぎ合い、息が吸えなくなる。覆うようにして抱きすくめられた背中はひどく温かく、心地の良いものだった。肩から首にかけて腕が木の枝のように絡まり、その先に伸びた指先は何度も恋焦がれた手だった。誰だ、なんてわかりきった回答を黒く塗りつぶす。自意識過剰でもいい、違う誰かであってほしかった。そう切に願う。 「あたたかいな、お前」 彷彿とさせる懐かしい香り、やわらかな声、温度。なのにどうしてか背中が軋み、痛んだ。死んでしまうかと思った。もう二度とあの人の体温を感じてはいけない気がしていたから。懐かしいという感情が鮮やかによみがえり、涙さえ出そうで、呼吸が上手にできない。胸が、苦しい。 (嗚呼、なんて ) 消えいりそうな儚さと安らぎとが入り混じった感情がとめどなく溢れ、満たされていく。胸に染み渡るようにこの想いは浸透して、背中はまだ痺れたような痛みだけを残している。なんて、あたたかな痛みだろう。絶対に届かないと知りながらも、本当はこの温度に救われていることもわかっていて、思わず手を伸ばしそうになる。伸ばしかけて、止めた。 いつか、温かな体温も、匂いも、この気持ちも、忘れてしまうのだろう。 吐いた息のように、静かに消えてしまいたいと願う。ゆっくりと目を閉じて、もう何も触れることのない両手を想った。 そして、辿りつくことのないどこか遠い場所で、 絶 対 温 度 は俺に刻み込まれるのだろう。 |