アイロニー


「あなたが、好きなんです」

遠くのほうから、自分の声が聞こえた。今のは自分が発した声だったのだろうか。口の中がいやに渇いてきた。(ああもうだめだなんてことをしてしまったのだろうさいていさいあくだ死んでしまいたいもうだめだ俺は一体何を)
「うん、」
知ってる、と、あたたかな色が滲んだ声がこの耳をじんわりと犯して、俺は思わず死んでしまいたくなった。感情の流れが上へ上へと張りつめていく。嬉しいはずなのに、俺は痛くて痛くてたまらなかった。口に出してしまったこと、それを彼が許してくれたこと、関係が崩れると知って尚、彼は俺を認めている。胸が痛い、身体の中に鉛があるみたいに、重い。無理に笑おうとして、顔がどんどん歪んでいくのがわかって、とうとう嗚咽がこぼれて、言葉にもならないまま俺はここで息をしている。呼吸。
「いいよ 」
何がいいのだろうと思いながら掴んだ手を離して、そしたら手がひどく震えていることに気が付いた。目から身体の一部がぼろぼろ落ちていく感じ、頭の中がぐしゃぐしゃだ。さっき言われた言葉の意味も理解できずに、ただその優しさに救われる。狂暴な愛しささえ生み出した左手がそっと頬を撫でて、俺は目を閉じて、瞼に唇の感触がして、ひどく心地のいい体温に包まれた。その温度で、やわからく触れられて、まるで白昼夢のようだった。


彼は俺を哀れんでいるから、だからこんなことをするのだろうか。本当のことを知るのを恐れていた。だったら何もわからなくていい。無知なほうが幸せなのだ、どれだけ残酷かということを知りながらも俺はそれを望む。

小さな愛しさでいいんだ、すこしでも、ほんのすこしでも俺のことを思ってくれているなら、それで充分なはずだった。どうして俺はこんなにも醜くて愚かな人間になってしまったのだろう。欲望に塗れた独占欲、どろどろに淀んだ感情を悟られたら、いや、知っていて彼はそれを突きつけないだけなのだとしたら。

「タカヤ、」

そう呼ばれるだけで俺の身体はみるみるうちに軽くなっていって、まだ濡れている頬が、指先が、冷えた。



唇が触れた場所から溶けだして、瞬きと瞬きの間に俺たちは最後のキスをする。