メネラウス

その手でそっと撫でられるように触れられる。髪に、頬に、唇に、心地いい生温かさをを感じる。たったそれだけのことで絆されて、溺れてしまうことに苛立ちさえ覚えていた。

感情を閉じ込めてしまえばいい。この人に彼女がいることも、見なかったことにしてしまえばいい。心のなかで、唱えた呪文。危険信号は、まだ鳴らない。


いつもそうだった。
この人の気が向いたときだけ口付けを交わすと、自然に口元が綻んでいく。せっかく保った距離を、崩してしまいそうになる。
今もまた、伏せられた瞼が、あたたかな指先が、俺を狂わせる。目を閉じると残像を感じて、いつまでもその光の跡を覚えていたいと思った。まだ、この空間を漂う甘い毒に酔い痴れてはいないつもり。落ちたときは、きっと、無意識だ。


ゆっくりと、侵されていく。侵食されているのだ、その毒に。

胸が苦しい。どうしてこの人は俺にキスをするのだろう。切迫感や焦燥感がふくらんで、張りつめていく感じがした。長い長い感情のループ。そこに終わりはあるのだろうか、不意にそんなことを思う。

「何、考えてた」

腕が絡まるように抱きしめられると、あのときの香りが、した。滅多に知ることのない感覚。長い口付けの後、醜く汚れた独占欲だけが渦巻いている。


重なる温度 、 もうすこしで 、 繋がる 。




「なに、も」
ことばをなぞるように、口ずさむ。
身体が離れていって、胸に詰まっていた緊張が和らいでいくと、寂寞を感じた。何故だか、夜の冷たさを思い出す。鋭く尖った角度の突き刺すような、冷ややかさ。

なめらかな皮膚の咽仏の曲線に沿って、舌が這う。またたくまにぞわりとした感触、全身がこわばったように動かない、恐れをなして逃げた吐息でさえも、溶けていく。


入り混じった憎悪と誰にも知られてはいけない秘密。

どうか、このままで、と俺は願いを乞う。