セックスと嘘とビデオテープ

「うち、来れば」
そう彼が言った。言った意味がよくわからなくて、俺は考えあぐねてしまった。
雨がしとしとと、頬を濡らす。いきなり手をつかまれて、走る、走る、走る。

「――――、」
呼吸が乱れている中、着いた場所は普通のマンションだった。玄関に入ると誰も居ないのか、部屋の明かりがついてなくて、物寂しいような雰囲気が漂っていた。
「風呂、どうする」
パチンと部屋が照らされてから、透き通った声がした。少し掠れめの、声。髪の毛が濡れて、身体まで冷えていた。少し肌寒い。
「先にどうぞ」
ばさ、と柔らかいタオルを掛けられると、布越しで触れたような手の感触がとても優しくて、死んでしまいたくなる。だってあまりにも勝手で、自分のいいように解釈しすぎているじゃないか。自己嫌悪。
顔、頭、と順を追ってふき取ると、皮膚の上に滑り落ちていた水滴がみるみるうちに吸い込まれていった。


ドアの向こうへ消えた彼が戻ってきたのは、わずか10分足らずのことだった。まだ雨は止まず、雷が鳴り出してきていた。
「今お湯沸かしたから、入りたかったら入れよな」
半ズボンとタオルを被って、無防備にさらされたそのうなじや、水が滴り落ちる背筋、滑らかな曲線を描くしなやかな腕が見えて、体格の違いを思い知らされる。卑猥だなぁなんて眺めながら言ったところでこの感情のベクトルが伝わるはずもない。

黙っていたら、洗面所に押し込められた。湿った衣服を半ば無理矢理に剥ぐ。浴室に入るとなんでこんなところにいるんだろう、と今更疑問に思った。指先が少し震えるくらいの冷え切った温度をシャワーで流して、そのわけを考えてみる。原因は、雨だ。雨が降っていて、帰るか迷っていた。理由なんてそんなもんだった。
・・・それでこうなったのか。
声にもならないため息を吐いて、シャワーのコックが同情してきゅ、と唸った。



モトキさんの部屋は意外ときれいなほうだった。床に散らばった服に、本や雑誌、ビデオがある。見たこともないようなタイトルの映画だ。さっぱりとした後、適当に(やはり多少だぼだぼしている)服を借りて、ベットの端にもたれかかる。
いまだ、無言状態が続く。時折、雲が光ってゴロゴロと音を響かせていた。

「何か、することはないんですか」
沈黙に耐え切れなくなって、遮るように言葉を発した。

「・・・ビデオでも見れば」

そっけなく言われ、仕方がなくその辺にあったビデオを入れる。デッキのデジタル部分が、ぐるぐると回り始めた。洋画だ。ブラウン管に映る外人と、目で追うのが面倒な白い縁取りの字幕。金髪の女がヒステリックに叫ぶ。
(なんの映画だよ)
それでもビデオテープは一向に回り続ける。

見ているうちに、その女がいきなり現れた男といちゃつき始めて、いわゆる、そういうシーンへと移っていった。次第に現実では気まずい空気が流れ出す。
「・・消、しましょうか」
「なんで」
意外と真剣に見ていたのか、黒い瞳の隙間から画面の光が映っている。瞬間、その横顔に心臓が跳ねた。目を逸らすことができなくて内心ひやひやしていたら、目があった。
「なに、見たくない?」
「・・・、そういうわけじゃ」
女の嬌声が聞こえる。こういうシーンをねちっこく撮るから、洋画とはちょっと感性が合わないと思う。艶かしい声が、実はあまりすきではない。少なくとも、この場では相応しくないだろう。


色んなことが頭のなかを駆け巡っていたが、それすらも吹き飛んだ。雷鳴と共に、このテレビの画面も、電気も、目の前すらも暗闇によって真っ黒に塗りつぶされたからだ。
バチン、と何かが切れたような音がした。電化製品の類か。停電。ずいぶんと昔にこういうことがあったと記憶している。久しぶりだなぁ、なんて感慨に浸っている場合じゃ、ない。
「当分駄目かもな」
静かな孤独のなかで、自嘲じみた声が聞こえた。言い返す言葉もない。

「タカヤ」

胸が軋むような声で、その名前をなぞらないで欲しかった。頬に手が触れて、ああ、唇に生温かさを感じる。さっき洗ったばかりの、シャンプーのいい香りがして、今、自分もこれと同じ香りがするのかと思うとどきどきしてしまった。
「こういうことも、嫌い?」
つくづくむかつく奴だと思う。そうやって無意識で甘ったるい雰囲気に持ち込むんだ。
反論、できない。
「・・っ、」
舌を絡ませながら、服に手を掛けて器用に脱がしていくその様をぼんやりと見ていた。横目で睨んでも、この指先が止まることはない。犯される、とはこういう気分なのか、と妙なスリルを覚える。窓から瞬いた稲光が、うっすらと赤く染まった頬を照らした。
「っは、・・・ぁ、」
焦らして、ぎりぎりのとこまで追い詰める。このやり方は好きじゃない。互いに限界擦れ擦れの境目を愉しむなんて、そんな余裕、俺にはない。そもそも欲情する理由がわからないのだ、仮にも男同士で。感じてる自分は差し置いたとしても。
「い、った・・っ・・・!、あ」
後ろ向きに寝かされて、いきなりいれられて、痛くないはずがない。ゆっくり動くとかそういうことは一切ないから、このハードゲイが、と思う。泣きたくもないのに、目の前が涙で滲んでいくのがわかる。

獣みたいに犯す、その鋭い野生の目がすきなんだ。そういう目で見られてると思うだけで鳥肌が立つ。身震いがしそうだ。

突き動かされるように、揺さぶられる。痛みが麻痺していて、よくわからない。快感というよりも、ずっと乱暴で、自慰行為の産物でしかないから然して気持ちのいいものではない。でも、つながっている。ひたすらに、その感じだとかそう思える幸福を行ったり来たりしながら果てた。最後に思ったのは何だったっけ。


眠りと覚醒のあいだを彷徨いながら、俺は意識を手放した。