左腕がなぜだかじんわりと痛くて、関節から筋をたどるようになぞった。痺れたような痛みだった。
朝方から降り始めた雨は空気を灰色に湿らせて、道路には透明な粒がところどころ散らばっていく。そうして平らな水の塊ができていく様をぼんやりと見ていた。どこからか自分の名前を呼ぶ、慣れ親しんだ声がして振り向くと、そこには不安そうな顔をした利央がいた。
「髪、濡れてる」
やわらかな金色、しっとりと水が馴染んだ髪を撫でる。少し照れたように、はにかんで笑うのをまるで隠すかのようにうつむくその仕草がとても好きだった。ゆっくりと重心をかけるように肩に頭を預けると、首筋の匂いがした。うすくめをあける。
「準サン?」
不安そうに喉を震わせて、罪のない顔をして、俺の名前を呼んでいるのだろう。見なくたって大体想像がつく。その優しい目や声を思うと、とても愛しく思えるはずなのになぜだか寒気がした。冷たい空気が背中から流れ込んでくる、温かさと冷たさが混じり合う感覚。悪寒がする。もう充分と言えるほど、俺は愛されすぎてしまった。
顔を上げて、名前を呼んで、それから金鳳花のような髪にそっと唇を触れさせる。

(この感触を、いちいち覚えておく必要もない、)

なんて残酷なことを思ってしまったのだろう。
俺はお前に絶望されたい、だなんて。

偽っていると、すべてを、吐き出してしまえば楽になれるのか。口の中が渇いた。胸が急に苦しくなって、ここから逃げろ、逃げてしまえと心臓がどくどく音を立てる。じゃあな、と言ったつもりがうまく声になったかもわからない。ああ俺は今、上手に笑えていただろうか。頭の中がぐしゃぐしゃだ。
家へ帰るといつも通り自分の部屋へ行き、電気もつけずにかばんを投げ捨てる。ベッドに腰掛けゆっくりと呼吸をすると、自分の吐き出した空気が真っ暗な闇に溶けて、なだらかに降下していく。誰もいない黒く塗りつぶされた部屋の中で、もうずっと前から愛しく思う感情は不器用に歪んでしまった。ふと、利央の笑顔が脳裏に浮かんで、懐かしい声が甘く、響く。目から透明な液体が零れはじめ、それは言葉にできることのないような、何とも不思議な感覚だった。

(それでいいんだ)
自分で自らの首を絞めるような行為を繰り返し、腐ってどろどろに溶けたこの気持ちも、白く焼けてどこかに消えてなくなってしまえばいい。

お前だけを愛してやれたらよかったのに。なあ、利央。

先ほどまで鈍く痛みを感じていた左腕を握り締めた。指先に力を込める。流れ落ちた涙は深い悲しみを思いながら頬を伝っていく。みっともないと自分を嘲笑った顔は、きっとどうしようもなく醜いだろう。

(お前に、知られることはなくてよかった)

何よりも愛し誰よりも憎んでいたよ、お前を。
もうその感情も思い出すことはないと、俺は中身も見ずに、捨てた。


テールランプ