見慣れた自室の風景の中にいつもとは違う存在がいることを意識して、一騎は僅かながら緊張していた。そうしてそれをうまく隠しきれていないのを総士には見抜かれているのだろうな、ということも把握していた。 今日、父さんが泊まり込みで帰らないんだ、と一騎が打ち明けたとき、だから家に来ないか、という続きの言葉が出てこなかったのは、つまりそういうことを二人でしないかと明け透けに言うようなもので、途端に恥ずかしくなってしまったからだった。顔をかあっと真っ赤にして黙りこくる一騎を見て、総士はわかった、とだけ言うと、荷物をまとめ鞄を手に取り、何してるんだとぼうっと突っ立っている一騎を急かすのだった。 久しぶりに湯船に浸かったという総士は、髪を乾かした後少しのぼせたと言って体を休めていて、窓際に腰を下ろし降り注ぐ月明かりに照らされている。佇まいがきれいだな、と離れたところから見ると余計に思う。あまり感情を顔に出さないタイプの総士は、けれど今日ばかりは林檎のように頬を赤く染めていて、いつもより色気が増しているように思え、誘われるようにそれを組み敷いた。突然のことにやや驚いた総士はそれでも一騎のしたいことを止めない。相手が望むのなら与える、命ですらきっと、与えてしまうのだと思う。二人の気持ちはもうひとつでしかなくて、それを止める理由なんてどこにもなかった。 無意識に出てしまった自身の手に驚いていると、さらさらの色素の薄い髪がシーツの上に広がり、見上げる穢れのないその瞳がまっすぐに一騎を射抜く。ちり、と胸が焼け焦げて、くすぶる気持ちを堪えきれず、そうし、と名前を呼んだ。思いの外、掠れた声だった。 なんだ、と彼はいつもと同じトーンで答える。言葉で伝えなければわからないぞ、と俺の唇が動くことを、待っている。 「今日は俺が、総士を抱きたい」 覚悟の念を押して放った言葉は別段総士を驚かせるものではなかった。すんなりとそれを受け入れた総士は、やたら真剣な顔で言うから何かと思った、と胸をなで下ろす。 「お前の好きなようにしろ」 そんなふうにいつでも命令口調の総士は、その口調とは裏腹にどんなときも優しい。誰かのためを思って、そんな言葉遣いなのだ。 「……うまくできなかったらごめん」 額にひとつ口づけを落とせば、総士は悪党のような笑みを浮かべ、こう言うのだった。 「今更だな、僕とお前の二人でできないことなどない」 触れ合わせるだけのキスからはじめて、舌を絡ませながら服を脱がせ、指先を身体中に這わせる。一度離した唇を至るところに押し当てながら、時折滑らかな肌を舌先で転がした。あまりに白い、日焼けなんてしたことのなさそうな、すべすべとした皮膚の感触を持てる全てで確かめる。そうして痩せた脇腹に浮かび上がる肋骨をまざまざと見て、もっと食べさせなきゃな、と別のことを考えそうになるのをすんでのところで回避して、窪みに沿ってそれを撫ぜた。血肉になることはできなくても、総士の循環のひとつになりたいと、そんなことを思っていたらふっと吐息が漏れたので、くすぐったかったかなと思いその手を止めた。 「一騎、」 熱っぽい視線を向けながら、もっと奥まで触ってほしいとせがむように、余裕のない総士の震える指が頬をすり抜け、耳に触れる。求められることが嬉しくて、言葉にならない代わりに小さく頷いた。 ローションを垂らし中指を差し込むと、総士は苦悩と快楽の狭間で呻くような声をあげ、意識のあるうちは恥じらいが残るのか控えめなリアクションが見て取れた。早くその向こう側に飛ばしてやりたかったけれど、総士の身体を傷つけてしまわないよう、できるだけ丁寧に慣らしていった。時折漏れる、くっとか、あ、とか、そういった声を聞いているだけで、下半身に熱がじわじわと集まっていく、腰の辺りが痺れて思考がヘンになりそうだ。以前、総士はこのとき器用に、たちあがったそれを擦りながら行っていたことを思い出し、使っていないほうの左手で包み込むようにして上下させた。 「あっ、あっ……一騎っ……」 急に扱いたせいか、驚きに一瞬目を見開いて、それから喉を仰け反らせ快感に身を委ねているようだった。自分がしたことだろうと思ったけれど、一騎自身の息もずいぶん上がっていたし、一刻も早くひとつになってしまいたいという欲望を抑えることで必死だった。 そうし、と愛おしいその名前を呼ぶと、向けられた瞳を見るだけで何が言いたいのかわかってしまって、一騎は小さく微笑んだ。 「入れるな」 念のためそう呟いて、自らのものを押し当てる。合図のつもりで先端を擦り付けてから、ゆっくりと挿入すると、いっ、と声が上がり、開かせた足がびくびくと震える。なんとか奥まで入れると、ぎゅうぎゅうと締め付けがきつくて、なのにとてもあたたかくて、繋がっているのだと思うだけで胸がいっぱいになる。 「総士、痛いか」 その目にはうっすらと涙が溜まっているのに、シーツを掴む手だって絶対に離さないのに、総士は浅く呼吸しながら首を横に振り、大丈夫だと答えるのだった。 「……お前が与える痛みは、僕がすべて引き受ける」 こんなときでも強情な総士は唇の端を持ち上げてみせ、安心させたいという意思を伝えようとしていた。 「一騎、動いてくれ。……僕も、お前と気持ちよくなりたい」 頬を真っ赤に染め上げ、扇情的な表情でそんなふうに言われたらもう止められなかった。 一旦腰を引き、やや強引に打ち付けるとしなる身体がびくんと跳ねて、反応を見ながらそれを何度も繰り返した。角度を変えるとぱちゅん、と潤滑剤と体液が混じったものが卑猥な音を立て、いっそう興奮を覚えた。 「ああっ……ん……いい、」 汗で髪が頬に、首筋に張り付いているのを見ながら、懸命になっているのは自分だけではないのだと実感する。理性を手放した総士の甘い声が、頭の中をどろどろに溶かしていく。その淫らな姿をもっと見たくて激しく揺さぶると、そのぶんだけ声も大きく響いた。総士と一緒に気持ちのいいところに行きたくて、早く果てたいのに終わりたくなくて、思考がぐしゃぐしゃになる。 総士、好きだ、とうわ言のように繰り返しながら、一番感度のよかった箇所をぐりぐりと押し当てる。そろそろ限界が近い。 「アッ、はあっ……一騎……っ、もう」 「俺も、もういきそ……あっ、ああっ」 なだらかな腹の上に飛び散る精液を見ながら、自分も総士の中に注ぎ込んでしまうと、あまりの気持ちのよさに恍惚となり、我を忘れてしまいそうだった。 なんとか自身のそれを引き抜いて、何も考えずにぱたりと倒れ込んだ。耳を当てれば心臓の音が聞こえてくる。どくん、どくんと波打つ、総士の命の源。ふいに髪を優しく撫でられて、心地よくていつまでもそうしていたくて、なんだか胸が切なくてたまらない。穏やかな心音を耳にしながら、一騎は深い眠りに落ちていく。それはまるで幸福な福音のようだった。 幸福の福音 |