「おい、あの噂知ってるか? 放課後、別棟の三階のトイレに行くとヤれるらしいぜ」
「誰と?」
「エース・パイロットの……」
「えっ、そいつ男じゃん」
「それがテクがすごくてヤバいんだって、その辺の女よりよっぽどいいって専らの評判。今日、ちょっと覗いてみようぜ」

そんな会話をしていた男子二人は、その日放課後になると棟を繋いでいる連絡通路を抜け、使用頻度の低い理科室や家庭科室などがある別棟に足を踏み入れたのだった。ただでさえ日当たりの悪い立地でじめじめとしているのに、照明がほとんど落ちているせいで余計に気味が悪い。時刻はすでに17時過ぎ、部活も終わり本来なら生徒は皆下校しているはずなので、誰かいるとしたら教員か、例の酔狂な人物か、亡霊かのいずれかだった。
階段を上り三階につくころ、遠くから物音が響いてくる。ガタガタと何かが衝突している音と、誰かの呻くような声だ。それは時折高く跳ねるように、鳴く。どきん、どきんと鼓動が早くなるのを感じながら、はやる気持ちを抑えきれず、歩き出した足は止まらない。目的地へとたどり着くと、小さなあっ、という漏れるような声が繰り返し――それは女の声というよりは、ややハスキーでまだ幼さの残る少年のもののように思えた――激しい息遣いと共に聞こえてくる。二人は顔を見合わせ、確信した。開けるぞ、と目で合図をして扉を開く直前、一際大きな喘ぎ声がしたと思えば、途端に辺りは嵐が去ったかのように静まり返る。慎重に扉を開けば誰かが奥の個室から出てくるところで、カチャカチャとベルトを締めながら、学年でいえば三年であろう出で立ちの男子生徒と鉢合わせした。着崩した制服に、髪も染めている、俗に言う不良というやつだ。
「お前らも? はは、人気だな、あいつ」
そう軽口を叩いて、洗面台で手を洗っている。その奥にいる人物がどうなっているのか気になって仕方ないのに、その一歩がなかなか踏み出せずにいると、なにしてんだ、と柄の悪い男子生徒から一蹴される。びくっとした後、おそるおそる一番奥の個室に向かうと男はそのまま立ち去って行った。
中を覗き込めば、洋式の便器に腰掛けぼんやりと天を仰いでいる少年がそこにいた。それは頭の隅に記憶していた、現パイロットの真壁一騎という人物に違いなかった。衣服は乱れ、ズボンと下着は中途半端に脱げかけたまま、剥き出しの性器には生々しい行為の跡が見受けられ、いかにも犯されましたといった風貌で彼はだらんと顔を傾けた。曇った眼を向けながら、二人……と囁くように呟く。性の匂いを纏いながら、年相応の幼さの中に色気の混じる声色の、どこかアンバランスな雰囲気に呑まれて頭がおかしくなりそうだ。
「狭いけど、いいか、」
誘われるままに個室に入り、一人は座らされ、もう一人は立ったままで始まった。口で、手で、繊細な舌先で艶めかしい指遣いで、驚くほど簡単にそれは二人を翻弄していった。女でもないのにあっけなく勃起してしまったのには、ここが本来勉学に励むべき学校の校舎であるということと、まさか本当にご奉仕しますだなんてそんなおかしな話があるわけがないという非日常へのギャップ、更にそれが男であるという外的要素も含まれているのだと思うが、噂以上のテクニックでもって意のままに射精を促されているのは、一体どういうことなのか。
膝をつき、口いっぱいに膨張しはじめた性器を頬張る真壁一騎の顔をよくよく見やれば睫毛の長さに気がつく。遠目で見れば女に見えないこともなかったが、アンニュイな魅力を持った、まだ同い年のあどけない少年がそんなことをしてしまうという状況が禁忌を犯しているようで、どうにもいけない。もはや二人はわけがわからなくなっていたが、なぜだか興奮するの一言に尽きるのであった。
「髪、掴んで、もっと強く引っ張って」
口を離して要求してきたことといえば、そんなことだった。艶のある黒髪に触れれば、するりと指先に絡んで毛先がばらける。撫でるのではなかったなと思い直し、前髪からかき上げ力を込めれば苦痛で顔が歪むのに、嬉しそうに笑うんだ。
「俺のここ、踏んでよ」
そんなふうに乱暴にしてほしい、だなんて、自身を苦しめるようなことばかり口にするので、ああこの人は壊れてしまったのだなと光の差すことのない瞳を見て思った。射精を終えて暫くすると、彼は床に置いてある鞄からボトルを取り出した。性行為に使用するためのローションだった。
「……最後までしていい、」
一人言のように声が浮遊し、宙を漂いながら何かの答えを探しているようだった。正しい正解はここにはないのだと知りながらも、本当は何かを期待しているのではないかと、そのとき思った。
ローションを手に取り、ちょっと膝借りるな、と言うと同時に彼は太腿の上に腰を下ろした。頼りない、細い背中が目の前にある。足を開き腰を浮かせて、透明でぬるぬるした液体を指に塗りつけ、自ら後ろをほぐしていく。卑猥な水音ばかりが反響し、乱雑な喘ぎ声が耳を犯す。先ほどまで同じようなことをしていたからだろう、そこまで時間をかけずに終わらせてしまうと、固くなったままの性器に手を添え、ゆるゆると腰を落としていった。
「あとでしてやるから、そこで見てて」
もう一人に対してそう言って、艶かしい腰つきでゆっくりと抜き差しを繰り返しはじめた。ノッてきたのか中を掻き回すように動いたり、緩急をつけながら激しく腰が揺れる。突いてやれば、あんっ、と女みたいな声が口の端から漏れる。目の前でずっとそれを見ていたもう一人は、空いた手で赤く色づいた胸の突起を触って反応を見たりしていた。すると真壁は突然そいつの顔を手繰り寄せ、強引にキスをしはじめたものだからなんだか妬けて、動きを性急にしていった。こんなに乱れているというのに彼の手はもう一人の下半身に伸び、器用に撫で始めている。最終的に後ろから突かれながら口内を女性器代わりにして、二人が達したのを確認すると、ごくんと喉が動き、いっぱい出したな、と蕩けるような表情で中に入っていたそれを引き抜いた。
息も絶え絶えくたりと倒れ込んでしまう彼をよそに、突然誰かの足音が遠くから響いてくる。通り過ぎることを祈っていたがそれはトイレ付近でぴたりと止まり、古びたドアが開かれる音がした。教師かもしれないと緊張が走り、物音を立てないようにしていたが結局そんなものに意味はなく、薄い扉を隔てた向こうで誰かが小さく息を吐いた。
「一騎、いるんだろう」
その低く唸るような声を聞くなり、そうし、と真壁一騎の唇が動く。
「ここを開けろ」
虚ろだった瞳に一筋の光が走った。轟き渡るのは雷鳴だ。総士と呼ばれる人物が来て初めて、期待に満ちた、それでいてどこか苦しげな表情を見せたので、彼が本当に求めていたその人なのだろうと推察できた。
服なんてほとんどはだけた状態のまま、彼は鍵に手を伸ばす。がちゃ、とそれが開かれるとそこにいたのは亜麻色の長く伸びた髪が印象的な、きれいな顔のつくりの青年だった。年齢は同い年くらいだろうか、ただでさえ厳しい表情をしていたろうに俺たちを見た瞬間からみるみる顔が引き攣っていく。
「こいつと話がある。二人にしてくれないか」
唇を噛み締め、握り込めた右手は白くなり、怒りの伝わるその肩が静かに震えていた。慌ててズボンを上げてその場を立ち去ると、内心よかったなと思うのだった。もうこんなこと二度とないほうが絶対にいい。身勝手だけれど、真壁一騎の命運を祈った。


「これは一体、どういうことだ」
静寂を切り裂くように、一騎を見下ろしながら総士は問うた。氷のように冷えた視線が一騎の胸を刺す。
「見ての通りだろ」
へら、と薄っぺらな笑みを浮かべれば、無気力にぶら下がった腕がだらりと垂れていく。総士はその怒りが全身を喰らい尽くさないよう、二本の足でここに踏み止まることに必死になりながら、じっとその姿を睨み続けていた。くだらない連中が変な噂をしているのを小耳に挟み、半信半疑で来てみたら嫌な予感が的中していたなんて、実物を見てもまだ脳が処理しきれていない。
「……誰かに抱かれると安心する、自分がここにいると思えるんだ」
ゆるく瞬きをして、一騎は濁った眼で総士を見つめた。
(気持ちのいいことは、誰かに求められることは、嫌いじゃなかった)
きっかけなんてとうに忘れてしまったが、それは誰かしらに因縁を付けられ、なんとなしにはじまった行為だったように思う。すべてがどうでもよくなり、はじめのうちはされるがままでいたが、快楽を得られるとわかったときからむしろ一騎にとっては唯一、生きていると実感できるものだった。
そうし、と求めていたその名前を呼ぶけれど、声が掠れてうまく呼べない。総士は目の前にいるのに、何一つ伝わっていないように感じる。
「そんなに僕の気を引きたいのか」
その問いに、うん、と素直に答えてしまうと身を起こして腕を伸ばした。
「しよ、総士」
抱きしめて、キスをして、服を脱がせて体を愛撫し、そそり立つ性器を自身の中に入れたかった、今までしてきたことと同じようにただひたすら誰かに抱かれたかった。……本当は誰かじゃなくて、総士と、セックスがしたかった。伸ばした指先はすんでのところで振り払われ、それは触れることすら叶わなかった。総士はまるで傷ついたみたいな顔をしていた。
「僕はお前にこんなふうになってほしかったわけじゃない」
いつもそうだ、俺たちはすれ違ってばかりいる。何がいけなかったのだろう、何年も前からずっと考えていたのに一向に答えが出ない。
「じゃあ、どんなふうになってほしかったんだ」
……どんな俺ならよかった? 言いながら、目の奥がじわりじわりと熱くなっていくのを感じて思わず奥歯を噛み締めた。
「お前の言うことだけ聞いて、ファフナーに乗り続ければよかったんだろ」
吐き捨てるように言葉にすると、もうまともに正面を見ていられない。ぼろっと涙が溢れて、頬に伝って落ちていく。
「俺に未来なんてない。……だったらせめて、最後に総士がほしい」
体に力が入らなくなり、膝から崩れ落ち、ぽたりぽたりと皮膚の上に落ちていく自分の涙をいつまでも見ていた。
「一騎、」
かずき、とそんなふうに繰り返し、切なげに名前を呼ばれてしまっては、振り向かずにいられない。おそるおそる顔を上げれば、総士の指先が頬を撫でていく。涙をそっと拭われたのだ。総士はなんだか今にも泣きそうな顔をしているのに、その表面からはまだ怒りは消えていない。そんな複雑な表情を浮かべたままぎゅうと抱きすくめられて、一騎は少し驚いた。
「こんなことは二度とするな。それから、今すぐ着替えて僕の部屋へ来い」

 * * *

部屋に着くなりバスルームに一人放り込まれてしまい、ムードも何もないまま大人しくシャワーを浴びる。ここにくるまでの間、総士に手を引かれ、共に歩くことに緊張して気づかなかったのだが、なにやら下腹部に重い感覚があり今更精液が残っているのかと思い当たった。一騎は仕方がなく、自分の指を差し入れる。
「あ、あっ……んっ」
感じているわけではないのに口から声が漏れていく。そうして少しでも気がまぎれるように妄想をした。ここでいつも総士は裸になって、このボディソープで身体を洗っているのだと、その姿を頭の中で想像してみる。最低だし相手にとっては気持ちの悪い行為でしかないとわかっていながら、背徳への反動もあり下半身はみるみる反応していった。ひときわ大きく喘いでいればバスルームの向こうに人影が現れ、ああまた怒られると覚悟する。
「一騎、何を……」
ドアから覗き込んできた総士は眉間に皺を寄せながら、それきり黙りこくってしまった。
「なか、掻き出してたんだ、けど」
総士のことを考えてたら気持ちよくなってしまった、とは言えず手を止めた。近くでシャワーが延々流れ続けており、水が排水溝に吸い込まれていく音だけがしていた。
「全部出せたのか」
「わ、からない」
総士の表情のレパートリーはとても少ない。大体眉を顰め、むっとした顔つきでいることが多い。大人といることが多かったせいもあり、嬉しいことがあっても表情をなるべく出さないように意識していたのだろう。何を考えているのか完全にはわからないけれど、今のこの表情は戸惑いや困惑に近いもののように思えた。
突然バスルームに足を踏み入れた総士は、服が濡れるのも構わず一騎の肩甲骨あたりをぐっと押し、前屈みにさせたあと小さく息を吐いて、力を抜け、と言い放つのであった。壁に手をつきながら、まさかと息を呑むと同時に、臀部に指先が触れ、それはおそるおそる一騎の中に入ってきた。はじめは中指から、内側をなぞるように差し入れられる。慎重に解されながら中を掻き出すように出し入れされて、そのうちくの字に曲がる指が気持ちのいいところに当たり、快感にすり替わって声が漏れる。
「あっ、ああっ」
萎えかけたはずの性器がすっかり反応してしまっていることなんてお見通しなのだろう、何度か名前を呼んでみたけれど、指先の動きは強まるばかりだった。
「ひゃああっ」
後ろをいじられただけで射精してしまい、肩で息をしていればそれはずるりと引き抜かれていった。どんな顔してそんなことをしたのだろうと、総士のことを考えるけれど目の前には白い壁しか見えない。その後は支えられながらバスルームを出て、丹念に身体を拭かれ、服を借りた。髪をドライヤーで乾かされたあとはベッドへ座らされる。至れり尽くせりの状態に違和感を覚えながら、総士、と名前を呼んでみる。
「なんだ」
いつまでも黙ったままの一騎に痺れを切らしたようで、総士はとんとん、と左足を軽く揺すった。
「言いたいことがあるなら言え」
横並びで向き合った、その真剣な瞳をじっと見つめながら、決意する。
「したい」
「……何をだ」
わかっているくせに往生際が悪いなと内心思いながら、虫の鳴くような声で答える。
「えっちなこと」
「それはできない」
即座に、それも頑なに拒まれた。
「僕をあのような輩と一緒にしないでほしい」
そうして至って真面目に、身体を休めるべきだと総士は訴えてきた。それでも納得のいかない一騎は尚も食い下がる。
「じゃあ、隣でしてていいか」
「いいわけないだろう! ここは僕の部屋だぞ」
とうとう逆鱗に触れてしまったらしく、総士は立ち上がり、珍しく張り上げた声が辺りに響いた。
「……なら、どうしたらいいんだよ」
強情な総士を打ち負かせた試しがない一騎は泣きそうになる。総士はしばらくの間顎に手をやり、考えていた。
「性的なこと以外であれば、要望に応える」
これが総士の出した結論だった。苦渋の選択だ。
「なんでも?」
「ああ」
立ったままでいる総士を見上げると、緊張したのか肩が強張っていく。総士の美しい瞳が、今、俺だけを見ている。
「抱きしめてほしい」
「わかった」
身長の割に細く、華奢な腕がそろそろと降ってくる。ぎゅうと包み込むように抱きしめられると、総士のあたたかな体温が流れ込んでくる。胸がどきどきして、鼓動まで伝わってしまわないか心配だ。
「キスは?」
「……触れ合わせるだけなら」
直接的な性行為に繋がらなければいいという条件に則り、キスとは例えば母親が我が子に口づけを落とすようなものだろうと総士は考え、渋々それを良しとしたが些か不安が残る。そんな心配をよそに、一騎は嬉しそうに、ちゅ、ちゅと総士の顔にまんべんなくキスの嵐を降らせ、子供のように柔く笑うものだから総士もほっと胸を撫で下ろす。童心に帰ったような笑みを向けられ、総士も数回、目尻に、頬に、最後に唇に口づけを返した。
満足したかと問えば、腕の中でうん、とくぐもった声が聞こえる。二人してベッドに寝転がり背中をとんとんと優しく叩いてやると、一騎は猫のように擦り寄り思う存分その胸に甘えた。すう、と眠りにつくのを見届けると、子供のころみたいに何もしないで終わった。


数日が経ち、普段通りの生活に戻った二人は以前と変わらない日々を過ごしていた。一騎は別棟に向かうこともなくなったが、特段総士に会いに行こうともしなかった。迷っているうちにタイミングを逃してしまっていたのだった。会ったからといって何を話せばいいのかもわからない。でも、会って話がしたい。そんなことを思いながら廊下を歩いていたら、ちょうど通路の角から総士がこちらへ向かってくるではないか。遠くから視線を交わせば、ずきんと胸が痛んだ。少し前まで目すらまともに合わせられずにいたからだ。目配せはしたものの、そのまま通り過ぎようとする総士にすれ違いざま一騎は振り返る。太陽に透けるような総士の髪がなびいて、ふわりと舞った。
「週末、総士の部屋に行きたい」
その声に足を止め向き直ると、至って冷静を保ちながら総士は返答する。
「わかった」
少しでも緊張しただなんて悟られないように、気を張った。あの日以来一騎を見かけるたびに、心に一本通った芯がぐらぐらと揺れるのを感じて、それを自身で宥め、認めることがうまくできないでいたのだった。角を曲がったところでふっと息を吐く。一騎も一騎で、ちゃんと意思を伝えられたという思いでいっぱいになってしばらくその場から動けずにいた。

週末、総士の部屋の前に来た一騎は意を決して呼び出しのボタンを押した。一騎か、とインターホン越しに呼ばれると同時にドアが開いて、そわそわと落ち着かない様子でソファに座った。
なにか飲むか、と総士はこちらの答えも聞かずに、机の上に用意していた缶ジュースとグラスを持ってこちらにやってくる。プルタブを引くと、それはしゅわしゅわと音を立ててグラスに注がれた。透明なソーダ水ははじけて、細かな泡がグラスの中で浮き上がっては空中に消えていく。二人で半分こしたサイダーは甘く、冷たさが通り過ぎては余計に喉が渇くような気がして、一騎は嚥下される総士の喉元を見つめた。なぜだかわからないけど、どきどきする。
「なあ、総士」
……キスしたい、と熱を帯びた声で一騎は唐突に口にした。透明な膜の潤んだ瞳でそれは総士を射抜く。下半身がじく、と疼くのを感じて、たぶんそれはきっと自分だけではないのだと総士は脳裏で考える。自分しか見えていないまっすぐな瞳に吸い寄せられるように、そうっと唇を触れ合わせて、一度離した。静かな触れ合いだった。総士はそれだけで一瞬、幸福感に満たされてしまうのに、一方で物足りなさがじわじわと後から追い上げてくる。熱くなっているのも事実なのに、けれど頭はどうしようもなく冷静だ。頬を朱に染めた一騎を見やれば、もっと、とせがむように求められ、何度か啄むように唇を重ねた。骨抜きにされずるずると後ろに倒れていく一騎を支えると、期待で押し潰れそうになっている、その心臓の音が伝わってくる。
「ずっと総士に、こうされたかった」
花が咲くように笑う一騎の、そんな表情ばかりを永遠に見つめていたい。どこか儚げで、いつか散りゆく僕だけの花。
「俺は総士を傷つけたから、その罪を、償いたかったんだ」
指を伸ばし目の傷に触れられながら、一騎は穏やかに話す。ごめんな、と失われたものに向かって、それは投げかけられた。まるで目に存在があるかのように言われ、頭の血管が切れるような衝撃があって、端的に言うなら嫉妬したし、勝手に謝るなんてどういうことだと総士は湧き上がる怒りに身を任せた。手首を乱暴に掴んで唇を押し付け、無理矢理開いた口に舌をねじ込んだ。戸惑いながらも反応が返ってきたので、絡ませて奪い合うようなキスを交わした。上顎をつつき、舌の付け根をさらい、歯列をなぞる。服を剥がしながら膝で足を開かせ、その中心を小突いてやれば喉の奥が鳴る。謝るなんてお門違いだと言ってやりたかったが、他の誰かにもこんなふうに安々と体を開いていたことにも腹が立つ。口を離すと一騎ははあっと息を吐いて、どこか不安げな表情をしながら眉間に皺を寄せている総士を見上げた。
「ベッド、あるのに、」
ここでするの、という言葉を飲み込み、総士が再び動き出すのを待った。総士はそのほうが一騎が興奮するだろうということがわかっていたので、あえて移動したりしなかった。たくしあげたシャツの下には、焼けていない真白い素肌があった。余裕を与えないうちに薄桃色した胸の尖りをきゅっとつねり、魚のようにびくんと跳ねる様を楽しむ。この手が触れるだけで一騎の体は震え反応を示す。色や形や声が変わっていく、この指先ひとつで。
する、と滑らかな皮膚をなぞれば高めの声が漏れ出て、まるで楽器みたいだと思った。ズボンを脱がせ湿った下着を取り払うと、逃れられないほどそれは上向いており、羞恥からか一騎の顔は林檎のように真っ赤に染まっていた。
「淫乱」
ペニスを親指の腹で少し撫でただけなのに、それだけで一騎は喘いだ。じわっと目に涙を溜めて、何か言いたげな様子で訴えてくる。
(そう仕向けたのは、僕だ)
目尻にキスを落とすとそのまま抱き寄せられ、耳元で何かを囁かれる。
「……総士の、舐めたい」
布越しに反応を示している箇所を指先で探られ、形をなぞられる。総士はその手が勝手に衣服を脱がしていくのを止めなかった。勃起した僕のペニスを目の前にして恍惚とした表情を浮かべている一騎の吐息が当たり、赤い舌先がそろそろと伸びていく。丁寧に舐め上げたあと、先端にちゅっとキスをしてから小さな口がはち切れんばかりのそれを頬張った。自分のものを咥えられている光景というのは、征服欲が増してよくない。いたいけな顔して、的確に気持ちのよいところを抑えてくるので末恐ろしい。うっとりしている一騎から放たれる色気のギャップに、あの連中もやられたのだろうなと少し余裕がなくなりながら総士は思う。悔しさを隠すように、艶のある黒髪を梳かしながら形のいい耳に触れた。
「んぁっ……だ、め、」
口の端から垂れる唾液もそのままに、一心不乱にそんな言葉を口にされたらもっと言わせたくなるに決まっていた。いたずらに耳介に触れて一通り遊んだ後、ペニスから顔を引き離した。仕上げにふっと息を吹きかけ、ベッドに行けるか、と低めの声で囁けば、びくびくと腰が痙攣するみたいに震えた。一騎は蕩け切った顔で、ん、と返事をすると、のろのろと起き上がった。支えてやりながらベッドに降ろしたついでに総士は机の引き出しから透明なボトルを取り出し、ベッドサイドに置いた。自身の衣服を取り払うとじっと見つめてくる一騎の熱視線を感じて、気恥ずかしい。
「僕に、抱かれたいか」
ベッドに片膝を乗り上げて、最後の宣告のように問えば、顔をくしゃくしゃにしながら一騎はぎゅうと抱きついてくる。
「総士、……総士、そうし、」
だいて、と聞こえないくらいの小さな声で、総士の胸に顔を埋めてそう言った。一騎を抱き寄せたままゆっくりと押し倒して、もう一度耳元で名前を呼んでやる。できるだけ優しい声で、総士は愛を伝えた。

 * * *

──はじめて人と性交をした。一騎の中に入ることがこんなにも気持ちよくて、受け入れてもらえることが、こんなにも嬉しいこととは思わなかった。抱いているようで、抱かれているような心地でもあった。まるで大きな海に包み込まれるような感覚があったからだ。ぴたりと合わさる皮膚や、汗と精液の匂い、あたたかな粘膜の感触、快楽に溺れていく一騎の、声。それは吐息混じりで少し掠れていた、その瞳には僕しか映っていなかった。甘い唇、求める指先、懸命に乱れる刹那の表情。そういうものを忘れてしまわないように、一から十まで記憶に留めておく。情事をうっすらと思い返しながら、腕の中で眠る一騎の髪を撫でた。額にかかる前髪を分けてやる。安らかな寝顔だ。今まで一度だって見ることのなかった、安心しきった表情をして、一騎は僕にすべてを預けてしまえるのだ。
……明日目が覚めたら、何から話そう。隣のぬくい温度を抱き寄せながら、総士は静かに瞼を下ろした。

僕は道徳がしたい