総士がアルヴィスの自室にこもったまま出てこなくなり、三日が経とうとしていた。近頃顔を見ないけれど、色々と忙しいのだろうと詮索しないでいたらそんなことを遠見真矢の母、千鶴から伝えられたのだった。
「通話はできるんだけど、なんでもないの一点張りで……様子を見に行ってもらえるかしら」
カード型のマスターキーをきゅっと握らされ、一騎は手のひらに乗ったそれをぼんやりと見つめていた。千鶴の華奢な指先が離れていって、すると寂しげな笑顔が視線の先で揺れている。島に住む子供なら皆全員、自分の我が子のように心配なのだろう。パイロットなら尚更だ。保健室などで見るような白衣の印象とは裏腹に、千鶴からはやさしい洗濯物の香りがふわりと漂ってくる。母親がいたら、こんな匂いがするんだろうか。一騎は返事をする前に少しだけ考える。遠見の母さん。自分の父親が、少しでも親身に思う人、おそらく、守りたいと思う存在。ちり、と胸が焼け焦げる感覚があって、それ以上考えるのをやめた。特に断る理由もなかった一騎は、わかりましたと一言言うとそのまま総士の部屋へと足を運んだ。
インターホンを鳴らすと、数秒遅れて応答のランプが点滅した。危険を知らせるみたいな、小さな赤い光だった。
「一騎か」
名乗らなくとも誰だかわかられており、そんなことはよくあることだったので疑問にも思わなかったけれど、普通に考えてそれは向こうだけに映る映像があるからかもしれなかった。
「大丈夫か? 遠見先生も心配してたぞ」
「問題ない、僕は大丈夫だから帰ってくれ」
「様子を見てきてくれって言われたんだ、会って話せないか」
「その必要はない、僕のことは心配するな」
「総士、いいから開けてくれ」
でないと渡されたマスターキーを使うことになる。それはなるべく避けたい事態だった。しかしながら同じような問答を繰り返し、なかなか引き下がらない一騎に対し、絶対に扉を開けようとしない総士の息が次第に荒くなってくる。なんだか声も上擦っているし、病状が悪化したようにしか思えない。
「……頼む、本当に、……っ、なんでもない、んだ」
「どうかしたのか、苦しいのか」
「気に、しな……でくれ……僕は、平気……」
は、は、と吐息が機械音に混じって再生された瞬間、一騎は衝動的にカードキーを差した。
「総士!」
部屋に入ると、壁に凭れ今にも崩れ落ちそうな総士の姿があった。慌てて駆け寄り背中に手を置くと、びくりと総士の体が跳ねて、聞いたこともないような悲鳴が上がる。
「あ、アッ……一騎、なん、で……」
「どうした、どこか痛むのか?」
ひとまず横になったほうがいい、と俯いて見えない顔を覗き込めば、頬は真っ赤に染まっており、明らかに熱があるようだった。ベットに横たわらせるが呼吸は乱れたままで、総士はしばらくの間目を閉じたり、開いては虚ろな表情をしたり、そのうちに自身の服やベッドの上掛けをぎゅうと握り込めていた。そうして背を丸め、縮こまってしまう。
「総士、苦しいんだろ? 遠見先生にちゃんと診てもらおう」
俺、呼んでくる、とその場を離れようとした瞬間、びっくりするくらいの速さで腕を掴まれた。
「や、め……そのうち、治る、」
「いつ治るんだよ、三日間ずっとこんな状態だから外に出られなかったんだろ」
猫のように丸まったのを見て、腹部が痛むのだろうかと、その付近に手を添えようとした。それだけで総士はびくりと体を震わせ、接触を恐れているようにも思えた。触ると痛みや刺激が走るのだろうかとよくよく体を見やると、腹部の少し下のあたりの衣服が膨らんでおり、それはちょうど性器が反応したらそうなる、つまり勃起した状態だったことに気がついた。
そうし、たってる、と口から漏れていくのを止めることもせず、一騎はただ驚いていた。獣のように喉が唸り、辱めを受け涙目になる総士が、途端に性的な表情をしているように思えてくる。上気した頬、汗ばむ首筋、滲む涙に欲情の色。
「総士、その……抜いて、ないのか」
「……ん、」
瞼をゆるく閉じて小さく返事をする総士は、自分で処理をしなかったようだ。おそらくこの状態が三日ほど続いていたのだろう。
「なんで」
問えば、沈黙と総士の荒い呼吸が続くばかりで、なかなか理由を話そうとしない。頑固だからなあと一騎はその性格を理解した上で、総士、と子供に話すみたいに優しく諭す。こうされることに弱いと知っているので、とっておきの時にしか使わない。効果覿面だったようで、総士はぐぐ、と眉を顰めながら、そうして困惑の表情を浮かべてこう言った。
「お前の……顔が、ちらついて、……でき、なかっ……」
唇が不安げに歪み、顔を枕に寄せて表情を隠してしまう総士を見届ければ、胸に温かなものがじわりと広がり、込み上げてくる。その感情がどういうものなのか一騎にはよくわからなかったけれど、嫌な気持ちはしなかった。それどころか嬉しいと思っている自分がいた。
普段どういうものを想像しながら総士が自慰をするのかは知らないけれど、俺をそういった対象とすることが、正しいことではないと、きっと総士のことだから身近な人間や友人、家族に欲情云々と生真面目に考えたりしたんだろう。違っていればそれまでだったが、この反応はたぶん合っている、そんな気がした。
「……軽蔑した、だろう」
枕に顔を押し付けながら総士がおそるおそる尋ねてくる。一騎は嬉しくてつい頬が緩んでしまう。
「総士……顔、上げて」
透けるような髪をそっと撫でると、愛おしさが込み上げてくる。耳元で再び名前を呼んでやれば、びくりと肩を震わせたあと観念したように潤んだ瞳が見上げてきた。怯えている総士を見て、かわいいなと一騎は思う。
目が合ったタイミングでぐっと肩を押し、仰向けにさせると強引に足の間に膝を滑り込ませ、乗り上げた。自分じゃできないなら、と小さくぼやくと、見下ろされている総士はますます不安げに瞳を揺らした。
「じっとしてろよ」
できるだけ優しい声で言いながら、微笑んでみせる。手際よくベルトを外し、ジッパーを下ろすとそれだけで総士は動揺し、激しく抵抗した。見かねた一騎は首元のスカーフを外して、総士の腕を捉える。わなわなと体の震えも取れない、弱っている総士を組み敷くことなんて簡単だった。
「ごめん」
でも、総士のためだからと両方の手首を頭の上で合わせ、赤いそれを巻きつけて縛った。信じられない、といった総士のショックを受けている顔が忘れられない。
下着をずらして性器を取り出すと、それに触れられただけで総士は声を上げ、その顔はみるみる苦痛と快感に歪んでいった。人のものを、それも勃起している状態で目にする機会なんてなかったので、一騎はまじまじとそれを凝視した。
「やめ、」
羞恥もあってか涙をぽろぽろと零し、終いには泣きじゃくりはじめる総士に罪悪感を覚えながら、それでも一騎はその手を止めなかった。
滑りがよくなかったので口から唾液を垂らし、指先で丁寧に扱いていくと敏感に反応する体は正直で、総士には申し訳ないけれどちょっと楽しくなりはじめていた。純粋な興味や好奇心は誰にも止められない。
感じてくれていることが嬉しくなって、舐めてもいいかと問えば、驚きに目を見開いたあと、総士はいやいやをするように首を横に振る。
「俺は、……僕は、お前に、こんなこと……してほしいわけじゃ、」
唇を噛み締めて、よごしたくないのだと、総士の目から生理的な涙が流れていく。理性が飛んでしまわないように、必死に自分を保とうとしている。どんな顔をしていても総士はきれいだな、今この一瞬を永遠にしてしまえたらいいのにと思いながら、流れ落ちた一筋の涙を舐めとると、ひくっと喉の奥が鳴った。
「これは、俺の意思じゃ……なく、て」
錯乱し、自分のことをそんなふうに呼ぶ総士を初めて見た一騎は、ならば目一杯気持ちよくなってもらおうと余計に煽られてしまう。
「大丈夫だから」
な、総士、と左目の傷にキスを落とし、可憐に笑ってみせた。

何度目かの射精を終え、もう出ないと音を上げたあともしつこく舐り、限界まで搾り取ると、総士はぐったりと体を弛緩させ、そこではじめて一切の抵抗をやめた。縛っていたスカーフを解いてやると、朦朧としながら名前を呼ばれ、無我夢中で抱き寄せられる。そうしてふやけた声で、こんなことは二度とするなと言い終わる前に眠りに落ちていった。
「好きだよ、総士」
誰にも聞こえないその声は、総士の元に届くまでしばらくかかるだろう。一騎は総士の美しく乱れた髪を撫でながら、そっとその体を抱きしめ返してやった。

聞こえない声