いつからだったろう、人間としての体をなくし新たな生命を授けられた日から、体内エネルギーのコントロールがうまくいかず、欲望を抑えきれなくなることがあった。こうなった自身を止める術を持たない僕は、無意識のうちに足が一騎の元へと向かってしまう。 暗がりの中で獣の目をした僕を、一騎はどう思っていたのだろう。はじめてそれを見せたとき、優しい声で、おいで、と何もかもを受け止める腕が手が指が、僕を呼んだのではなかったか。めちゃくちゃにしたくてたまらない、その内側を暴きたくて仕方なくなる。そういう衝動が体中を支配していた。――一騎は享受する。僕のどんな汚い欲も、我儘も、すべて受け入れてしまう。渇いて飢えたそれが水を求めるように欲するのだ、僕の視線を声を唇を。 一騎は、ある時期から急に雰囲気ががらりと変わった。艶やかな黒髪が伸び、柔らかく微笑むようになった。二人だけで浜辺に腰を下ろすとき、楽園でコーヒーをいれるとき、白いシーツの上で素肌を晒し、僕だけだと囁くとき。時折女のようだと息を呑む瞬間がある。僕が一騎を女にしたのだと、強烈な罪悪を感じる。乱暴に抱けどもそれすら嬉しいと言って涙を零すのだ。壊れている、こんな関係は破綻している。 前に一度、僕になら何をされてもいいのかと問うたことがある。答えなんて聞くまでもなく明白だった。それが地獄の果てでも構わないと、彼は言う。――皮膚のぶつかり合う感覚や、下半身の卑猥な水音、飛び散る精液、こもる汗と熱気、気持ちがいいと何度も何度も呼ばれる声、僕の名前を呼ぶ、声。幸せにしてやりたかった、僕の成しうる限りのすべてで、優しくしてやりたかった。本当はセックスなんかしないで、ただ抱き合えたならそれが一番よかった。大事だったなら、触れるべきではなかったのだ。しかし僕は一騎に欲情した。一つになりたくて、触れたくて触れたくて気が狂いそうになる。そうして触れた。一度手に入れたら、もう僕のものだった。 いつでも笑っている一騎は本当に嬉しいのだろうか? 僕にこんなふうに手酷く抱かれて、どんな気持ちで僕のことを好きだなんて言うのだろう? 得体が知れなかった。一騎の心の内は底知れぬ闇だ。本当の真壁一騎がどこにいるのかわからない。失ってしまった。いつなくしたかも、もうよく覚えていない。 あなたが一騎くんをそうさせたんでしょうと、遠見に言われたことを思い出す。どういう意味だったか、言われた当初はわからなかったけれど後に気がついた。僕があの日あのとき一騎を殺した。僕以外、見えなくさせた。もう何回セックスしたかも覚えていないし、一体何回一騎の中に出したかもわからない。無意味に命の終わりを迎える精子のことを考える。むなしい、かなしい、そうしてどこかせつない。 行為を終えると、からっぽになっていく感覚がいつまでも取れなくて、後悔することもできず虚無感ばかりが体の内側を占め、空洞となってひゅうひゅうと空気が通り抜ける。夏の青空が恋しかった。 僕たちは忘れていく。こうして抱き合ったことも忘れてしまう。激しくして真っ白になるほど意識を飛ばしてしまえば、残るものなんて何もなかった。僕は、一騎の本当が知りたかった。 ふいに、なんで泣くんだと優しい声がする。はじめて呼びかけられたときと同じ、甘やかな、許しを与える声だ。なぜ泣いているかなんて僕が聞きたかった。状況を理解したところでぽろぽろと涙は止まらない。指先が頬に触れ、睫の先からこぼれ落ちる雫を掬った。ぜんぶ曖昧になって溶けていく、目の前がもうよく見えない。一騎は今、どんな顔をしているだろう。 セックスのとき、気持ちよすぎて泣きじゃくる一騎はたまらなく愛おしいけれど、感情を吐露するように泣かれたことは一度だってなかった。一騎が泣かないから、かわりに僕が泣いているのだ。ふとそんなことを思った。青空の下で無邪気に笑うような一騎はもうどこにもいない。 お前の本当の気持ちはどこにあるんだと、聞ければよかった。今となっては返ってくるはずのない問いだ。僕が一騎のすべてを飲み干してしまった。そうしてまた、何もかも忘れて求めてしまうのだろう。輪廻する、繰り返す、生と死をいったりきたりして、不確かな存在になっていく。僕は一騎を何度だって汚し、探しては失い、殺し、飲み干す、そうして二人して身も心もからっぽになっていく。一騎の底知れぬ闇だけが、僕をずっと見つめていた。 僕たちは何だかすべて忘れてしまうね |