真壁一騎はときどき、溶けるような瞳をしている。それは大抵皆城総士のことを考えているときか、彼がこの喫茶楽園に訪れたときに見受けられる。ろうそくに灯る火のような揺らめき、息を吹きかけた途端消えてしまうような、そんな心もとなさを感じて剣司は不安になる。 今思えば昔からそうだった。皆城総士のこととなると、あいつは人が変わってしまう。それが恋だというだけならば、素直に片付けてしまえた。 大人に近づくにつれ、色んなことが変わった。時は流れ、絶えず留まらず、今も変わり続けている。死んで姿を消した者もいたし、感じたままに形を変えながら生を受けている者もいた。各々に変化がありながら、それでも剣司は一騎に対して感じ続けていた違和感を拭い去ることができないでいた。 「おかわり、いるか?」 ハスキーがかったようなやさしい声がカウンターから聞こえてきた。女みたいに肩まで伸びた一騎の髪がふわりと揺れて、胸がほんの少し締め付けられる。その外見は昔の一騎からは想像もつかないほど、穏やかでやわらかな雰囲気を滲ませている。女性的ですらあるのだ、今の一騎は。 まだあるからと伝えれば、せっかく淹れてもらったコーヒーがすっかり冷めきっていた。ゆらゆらと、黒い液体の水面に映る曇った表情がそこにあった。自分が見えていない角度から見る自分。他人から見えている部分、見えない内側。だから対話が必要なんだ。 「お前さ、なんか隠し事してるか?」 「いきなりどうしたんだ」 テーブル席から問いかければ、唐突な質問に訝しんだ顔がこちらを見ていた。 「いいから答えろ」 「……別に、ないけど」 ややあって返ってきた返答に思わず肩を落としてしまう。そうだ、こいつは昔からこういう男なのだ、正体の掴めない曖昧さがいつまでも残る。本人はいつだって無自覚で、まるでわかっちゃいない。それが悪いことでは決してない。ただ最近の一騎は、なんというか方向が違う気がする。例えて言うなら狂ったコンパスみたいな。 「別に俺に対して、という話じゃなくてだな」 「……ないよ」 困ったように眉をひそめて、一騎はまるで花でも咲いたみたいに笑ってみせる。散ることが約束されている、きれいで儚い花。そんな顔、いつからするようになったんだ。苛立ちも悲しみも蓋をして何もかも閉ざしているようで、それをどうにかすくい上げたくて、剣司は必死に言葉を振り絞る。 「うまく言えねぇけど、前のお前はもう少し、お前らしいところがあった。今はさ、……なんていうか、飲み込まなくていいとこまで飲んじゃってる感じ」 胸の内がぐるぐると渦巻いて苦しい。一騎がどこにいるのか、本当に今ここに気持ちがあるのか、見えないから苦しいのだ。 「俺だって昔とは違うし、見た目だって変わったけど……でもお前はなんか隠してる。心のずーっと奥深くに、あるだろ、誰にも言えなかったこと」 総士にすら、言えてないこと。あるはずなんだと、剣司は祈るように問いかけた。 「お前がそう言うなら、そうなのかもしれないな」 それを受けて、剣司はどんなに言葉を尽くしても伝わらないという虚しさに思わずため息をつく。一騎はいつまでも困ったように笑みを称えるばかりで、手のひらからこぼれ落ちる一握の砂みたいに感じられた。乾きばかりが降り積もり、埋もれていく。中にあったのは彼が本来持っていた自我だ、そうして彼が隠した本当の望みだ。 「勝負しようぜ」 強引に一騎の腕を引き、ホールの中央に連れ立った。掴んだのはあまりに細い腕、成人手前の男性にしては、ずいぶんと華奢な体つきだった。向き合ってみてようやく実感できる。色素のない白い頬、悲しいものをたくさん見てきた瞳、俺たちは色んなものを失ってしまったのだと。 「……でも、」 躊躇うように一騎は言う。もう昔みたいに勝負を引き受けられないと、その目は語る。 「お前の体のことは知ってる。だから俺が勝っても、お前に勝てない。……世界がそういうふうにできているからだ、周りがお前を認めて許すからだ」 強く掴んでいた腕を離せば、重力に沿って手は落ちていく。彼はもう、逆らわない。皆城総士が帰ってきた、ただそれだけでいいのだとでもいうように。 「けどな、お前、言えるだろう。目も見えてさわれて、総士と話せるんだ」 総士はきっと、一騎が本当の意思を伝えることをずっと待っている。それを受け止めるだけの心を持ち合わせている。どうしてそれでいいだなんて、自身の望みを受け流して幸せだなんて言えるんだ。歯がゆさに剣司は唇を噛みしめ、唸るように声を上げた。 「だったら全部、吐いちまえよ。何がいけないことなんだ」 半ば泣きそうになりながら、一騎の伸びた髪に触れた。さらりとして艶のある黒髪だった。ただただ優しい一騎の象徴みたいに思えてなんだか切ないのは、俺だけだろうか。 「……一騎?」 カランカラン、と喫茶楽園のドアベルが鳴る。来客の知らせに振り返れば皆城総士がそこにいた。一騎はとっさに息を詰めて髪に触れていた剣司の手を振り払うと、動揺した様子で総士を見つめた。 「お前はお前のものだろ」 まるで総士のものじゃないとでも言いたげで、とんだ皮肉だなと自分で笑ってしまいそうになる。それを選ぶかどうかなんて、はじめから人の自由なのにと剣司は自嘲し、総士の横を通って喫茶楽園の扉を閉じた。 行き場がなくて、ひたすら歩みを進めれば海に出る。ここが島の行き止まりだ。どこもかしこも青く澄み渡り、だだっ広くて孤独だった。 (昔の一騎って、どんなだったかな) 目を閉じて、さざ波の音を聞く。広くて深い海のような心。近づいては遠ざかる、一騎のことをいつまでも考えていた。 記号になっていくあなたのことを考えている |