みなしろくん、というひどく甘い声が鼓膜の奥まで染み渡るようだった。
いつ、何度聞いても心地のよい声だと思う。特にこんなふうに優しく囁きかけられると、まだ夢の中にいるみたいだ。瞼をゆっくりと開けばぼやけていた焦点が定まっていく。普段は白い天井しか見えないはずの景色は、こちらを覗き込む遠見真矢の顔を映し出していた。いつも憎まれ役を買ってばかりだったので、彼女から感謝されたり優しくされることは稀だった。あんなに穏やかな声を聞いたのはいつぶりだろうか。幸福感に呑まれそうになるのを自制し、現状を把握することに努めた。遠見がなぜ、僕の部屋にいるのだろう。朝に弱い総士ははじめ寝ぼけ眼で見ていたが、視界がはっきりすると今の状況がおかしいことに気がついた。
「遠見、少し幼くなってない……なんだこれは」
まずに遠見が時期で言えば十四歳の頃の姿をしていたことにも驚いたが、伸ばそうとした腕が動かず、自身の体を見やればベッドに手足が縛り付けられていることに一番驚愕した。
「皆城くん、今日で二十歳だね。おめでとう」
「……紐を解いてくれ」
異常事態に脳が処理しきれず、頭の中が真っ白になっていく。無邪気に笑う彼女の笑顔は本物なのだろうか? 十九になり大人びた彼女の顔も好きだったが、総士が少しでも恋だと意識した少女は十四歳の遠見真矢であったから、胸の内が激しく動揺するのがわかった。どうして、まさかフェストゥムが――そんなふうに思考をめぐらせた瞬間、真矢は総士の心の内を見抜き、口を開く。
「ちがうよ。今日くらい、私がいい夢見させてあげようと思って、お願いしたんだ」
「……誰にだ」
「誰だと思う? 聞いたら倒れちゃうよ、お兄ちゃん」
アルヴィスの制服を着た真矢がベッドの上に膝を乗り上げ、無防備な足を晒した。丈の短いスカートは今にも下着が見えてしまいそうで目に毒だ。
「僕の知る遠見真矢は、そんなことを口にはしない」
総士はふいと顔を逸らし、静かに目を瞑った。拘束具を外せと言ってもこの調子では受け入れてもらえないと容易にわかる。こんなときは大抵、耐えるしかないのだ。僕はそういう役割をいつだって強いられてきた。
「強がったってだめだよ。あなたが望んだことでしょう?」
しゅるりとスカーフが外れ、何やら衣擦れの音がする。嫌な予感がして薄っすらと視界を開けば、ジャケットを脱ぎ、背中のファスナーに手をかけている遠見の姿があった。
「遠見!何をしているんだ!」
「昔、皆城くんが私のことを好きだったの、知ってるよ」
今だってほら、忘れきれてない。そう言いながら真矢は制服をはだけさせ、恥ずかしそうに頬を染める。弾力のある、なだらかな曲線が総士を誘った。下着を見せ付けるようにゆっくりと外すと、真矢は目が離せないでしょうとでも言いたげだ。総士はいやいやをするように首を振って拒否をするが、顔の輪郭に手を添えられてしまいあっけなく観念した。物分かりがいいことがかえって仇となっている。そうしてその唇が近づく光景を、一度でも夢に見たことがないとは言いきれない。
「誕生日だから、特別だよ?」
天使のようにやわらかな唇が一瞬触れた瞬間、心が歓喜に込み上げ、震えた。そこで終われたなら、もう思い残すことはなかった。
「今日はとびきり優しくしてあげる」
耳元で囁かれ、首筋に吐息がかけられる。くすぐったいのにぞくぞくと腰のあたりがむず痒くなるような感覚があり、まずいと総士はようやく危機を悟った。服を脱がされ、ちゅっと音を立てながら唇は落ちていく。やわらかな素肌が艶かしく擦り付けられ、体の芯がじわりと熱くなっていく。キスマークをつけられながら、立場が逆だと総士はくらくらしている頭で考える。
「遠見……頼む、それ以上はやめてくれ」
いよいよズボンのファスナーを下げられ、下着から立ち上がったそれを取り出そうとしているときだった。
「どうして? 皆城くんも感じてるくせに。……ほら、もうこんなにして」
いつもより分泌量の多いカウパー液に驚きを禁じ得ない。羞恥心が煽られ、いよいよ限界を突破しそうになった。僕はこんな妄想をしたことは一度だってない。アーカイブでそのようなアダルトビデオと呼ばれるものを見てしまったことは認めるが、それも知識を補うためにしたことであり、また男子にとっては健全な行動だと昔の書物には記されていた。
「……っ、アッ……」
少女の神聖な指先が、性器をゆっくりとなぞる。弄ぶようにいじられて、腰がびくびくと魚のように跳ねた。丁寧な愛撫が続いたかと思えば性急に手で扱かれ、あまりの激しさに熱くなる体と心が分裂していく。
「遠見、いやだ、遠見……」
うわ言のように名前を呟けば、一筋の涙が総士の目尻から零れていった。肩が小刻みに震え、いよいよ総士がしゃくりあげるころには性器が萎えてしまっていた。
「やっぱり私じゃ物足りないみたい」
一騎くん、と真矢がその名前を呼んだ瞬間の総士の絶望を、今ここにいる誰なら理解してもらえるのだろう。遠くからカタンと物音がして、背中が凍りついた。総士のよく知る足音が近づいてくる。
「わかった、遠見」
一騎はずっとすぐ後ろに控えており、一部始終を見ていたのだ。
「一騎、嘘だ……なぜ……」
一体何度打ちのめせば気が済むのだと、総士は心の底から絶望した。
「総士」
十四歳の姿をした一騎が、不安げな表情を浮かべてこちらを見ていた。そうして徐に近づいたかと思えば、すっかり萎えてしまったはずの性器をぱくりと咥えはじめた。まだ幼さの残る少年の赤い色した舌先が、そのざらりとした感触が総士を追い詰める。
「やめろ、一騎!何をするんだ……!お前たち、どうかしてるんじゃないのか…!?」
悲痛に叫べども、一騎は興奮した様子で自らの下半身をも押し付けてきた。
「一騎くん、いつもみたいにしてあげて」
「ん、」
真矢は何もかも知っているような口ぶりだった。いつから、どこから……どこまで、知っていたのだろう。
確かにあのころ、僕たちは体を繋げていた。僕が不器用なばかりに、一騎にとってはただの性欲処理に付き合わされているような状態だった。誤解を解かないまま、僕はそれを行ったのだ。なんてひどい仕打ちだろう。
事前に後ろをほぐしてきたのか、一騎は机の下の引き出しから取り出したローションで簡単に慣らした後、いつの間にか反応していた僕の性器をゆるく持ち、押し込めるように腰を下ろした。
「あっああっ……総士、そうしぃ……ッ」
あられもない姿で一騎は喘ぐ。一度喘ぎ出したら止まらないのだ、一騎は。
「真矢が見ている。やめるんだ。……おい、一騎!聞こえないのか!」
「……あのうるさい口を早く塞いで」
冷たい口調の真矢に、耳がキンとした。絶対零度の声色だ、それはその言葉を聞いた者を確実に従える。唇を塞がれ、ぬるついた舌が潜り込んでくる。打ち付けられる腰が、中が擦れて気持ちがいい。
「もっと腰を使って。……そう、上手」
ラストスパートに差し掛かると、真矢の命令は的確に僕らの体を意のままに動かしていった。そうして二人同時に達すると、一騎がのけぞり精液が腹の上に飛び散った。一騎はぱたりと倒れこむように僕の肩に顔をうずめ、弛緩した体を預けてくる。いつもなら意識を失った一騎を、ここで初めて抱きしめてやれるのに。息を切らす僕の姿を見て、真矢はうっとりしながらこう言った。
「皆城くん、すごくきれい」
恍惚の表情を浮かべ、総士の薄い唇についたどちらのものともつかない唾液を、人差し指の腹でそっと拭った。
「ずっときれいなままの皆城くんでいてね」
真矢の声が、いつまでも耳に残って離れない。自然と落ちていく瞼にキスが落とされる。ひどく優しい、唇だった。

やさしくしてあげる