春は来ない

何気ない言葉とその目線の先が、死んだあいつを思い出させて、かっとなって手が出てしまったのだ。
唐突に殴られた浜名といったら今この状況が理解できない、そんな言葉通りの表情を浮かべて大きな目を見開いている。痛みからかいつしかぼろぼろと大粒の涙が零れていて、やっと俺は我に返ってごめん、と口にした。そんなこと思ってもない言葉だった。我に返っても尚、どうして自分が浜名を、それも右の手が痛くなるほど強く殴ってしまったのかわからなかったからだ。

浜名の目が俺を食らおうとしている、ただの少年のそれが、どうしてこんなにも突き刺さるのだろう。視線が離せない、思い出すのはシュウのことばっかりだ、どうしてそんな目で俺を見るんだ。
(この目が、悪い)
だけれどもう一度、この右手を振り下ろしたらこいつはどんな顔をするんだろう、込み上げてくる好奇心を押さえきれなくて、口元が、歪む。
壁に追いやられた浜名の小さな唇が動きかけて、その速度で、右腕を上げかけたときだった。
「やだよ、やめて?」
瞬きと同時に涙が落ちて、声に反応した右手が止まる。その澄みきった綺麗な瞳に映りこんだ自分を、俺はどんな目で見たんだろう。指先が戦慄くように震えて、ゆっくりと腕が伸びていく。
浜名は何も恐れない、殴られたその手が近づいてきても、自らの左腕が壊れるそのときさえも、きっと。その小さな身体を包み込みたいだけだったのに、俺は浜名の骨が折れそうになるくらい、無我夢中で抱きしめてしまった。
シュウ、と、何度も何度も呟いて、そんなことあるはずがないのに、俺は何をしているんだろうね。浜名の手がそっと背中に触れて、やっと息を吐くことができた。腕の力を緩めて、それでもまだ震える指は空中で何を描いている?
ぼんやりと、浜名は俺の目を見て、言った。

「俺はシュウじゃない」
シュウじゃ、ないよ。
やわらかな声が、それしか聞こえないように俺の耳を塞ぐ。冷たい手で心臓を掴まれた気持ちがした。肺から空気が抜けていくだけで、うまく呼吸ができない。淡く儚い期待を、願わずにはいられなくて、だから。
俺はそんな当たり前のことが悲しくて、ただ悲しくて、いつの間にか浜名の前で涙を流してしまっていた。

首を項垂れながら、いつしかシュウが迎えに来てくれるその日を思う。
永遠に来るはずのない、春の訪れであった。