雨の音が耳に絡み付く。髪の毛が張り付いているのじゃあないかと頬に手をやるが何もない感触に笹塚は顔をしかめた。遠くでサイレンが鳴っている。皆ここへ運ばれて死んでいくのだろう。
どこか悲しみに満ちた世界を思い返しながら、右腕に突き刺さった点滴をごく自然な動作で引き抜き、煙草とライターが胸ポケットに入っているか確認してから病室を出る。静かに扉を閉めれば身体は深緑の蛍光色に包まれる。喫煙所まで、そう遠くはない。
スリッパの擦れる音も気にしないまま歩いていると、すでに誰かがそこを占拠していたが、煙草が吸えればいいかとそれもまた気にせず隣に腰掛ける。
「よお」
他人かと思えばそうではなく、それも患者じゃない人間がそこにいた。目が合って数秒間、俺の目は淀んでいく一方でこいつの目はいつだって澄んでいる。
「どっから入って来たの?まあいいけど」
光る橙が灰ばかり残していくことを知りながら笹塚は煙草に火を点ける。空気が湿っていてあまり美味しくない。なんだか手まで汗ばんできた。何度も針を刺された腕は赤黒く腫れていて、布の上から触れてみたところで若干の痛みが走った。手まで燃えつくそうとする火を揉み消して、袖を捲ろうとしていたら無言で手が伸びてくる。乾いたように笑いながら腕の赤さを見て、吾代は手術後?と冗談めいたように聞いてくる。そのはじけそうな赤と黒の混じったような色に、指先が、触れた。
「なあ、痛いか」
じわりと力を加えられて痛くないはずがないが、笹塚は一言も漏らさずにただ目を瞑る。何かを祈っているようにも見えるその姿は許されたいと乞う姿にも似ていた。唇を近づけようとしたところで、目を閉じたままの笹塚が口を開いた。
「俺を通して誰を見ているのか、知ってるよ」
ああこんなひどいことを言うつもりじゃなかったのになと笹塚は自嘲気味に笑い、目を細め、近くにあったピアスのそれをゆるく噛んだ。ぼやけて見えない視界と儚い吐息の呼吸。震える唇が何かを告げようとしている。

「お前が知らないと思っていることを、俺も知ってるよ」

その表情は今にも溢れんばかりの感情を零しそうになっていて、吾代は堪えるように俯いた。まさかそんな言葉が出てくるとは予想だにしていなかった笹塚は驚いて、その意味を理解できないでいたがとうとう泣きそうな声で、はは、と笑い出した。
「ずっと誰かにわかってほしいと思っていたくせに、お前にだけは知られたくなかった、なんて、ずるいよな」

「ずるいよ、」
(俺も、お前も、)

いつまでもあいつの触れた腕の痛みが離れない。
涙なんか出なかった。



もうおしまいね