身も心も震えてしまいそうなほど寒さが染みる冬の日だ。白んだ空の下に一斉に列を成して歩く、首元をぐるぐる巻きにしたマフラーや、ふわふわの耳当てをしている子供たちの朝の中にイオリ・セイはいなかった。 ごほ、と彼は渇いた喉を鳴らしてひんやりと冷たいであろう窓を一心に見つめていた。学校なんて別段行きたいとは思わないのに、こういう日には不思議と行きたくなるな、なんて考えながら、ただゆっくりと時間が積み重なっていくのを感じていた。ぼんやりとしてくる思考と、ガンプラバトルの世界大会で優勝する夢を交互に見ながら熱に浮かされていた。 体が必死にウィルスと闘っているのだと思うと悪くはないかな、どのくらい時間が経っただろう、今日の給食は何だったのかな、今頃委員長は僕のためにノート取ってくれてたりして。目をつむりながら考えることなんて星を数えるくらいあったのだけれど、そのくらいしかできることがなかった。ほどなくして、赤い色した髪の少年についてほんの少しだけ、まるで角砂糖を口に含むみたいに思い返していた。 セイが風邪を引いた。そう彼の母親から知らされたとき、まず俺はその意味を尋ねた。そうしてしばらく布団の中で休息を取らなければならないことや、ガンプラをさわらせてはいけない、ということまで教えてもらった。 おかゆ、持って行ってあげて、とトレイを渡されたけれど、並べられたお茶碗とれんげを見てその食事の質素さに驚いてしまう。もっと美味しいものを食べたほうが絶対元気になるのに。少なくとも俺はそうだと訴える、彼のためではなく、万が一自分がそうなったときのためにだ。 病人にはこれが一番いいのよ。にこりと全てを押し切るように笑う彼の母親は、きっと何でも知っている。 階段を上がっていくと自然と足音に気をつけていた。片手で器用にトレイを持ち替えながらドアをいつもより静かに開く、病気のことはよくわからないから、慎重に、だ。ベッドでぐったりと眠っている彼を見て、こういうものかと直感で理解する。安らかな寝息、頬は赤く膨れ上がり、やや苦しそうに顰められた眉。机の上にトレイを置くと傍に近寄って、起きれるか、と呼びかけた。 「レイジ?」 なんでここにいるの、とセイは寝ぼけているようだった、茹で上がったパスタみたいにふにゃふにゃしている。 「おかゆ、持ってきた。ちゃんと食べないと治んないぞ」 たしなめるように言うけれど、こんなのは受け売りでしかない。どう頑張ったって俺は彼の代わりにはなれないのだ。 「持ってきてくれたんだ、ありがとう」 気弱な声が彼の体から抜けていくみたいだ。ようやく状況を理解したようで、上半身を起こしてゆっくりと肺に空気を満たす、たったそれだけのことが今の彼にとっては精一杯のことだった。 味のしなさそうなくたくたの白いご飯を口に運んで、咀嚼しているのをじっと見つめていると、レイジにはあげられないよと釘を刺されてしまった。もともともらうつもりで見てたわけじゃない、と言い訳するけれど、想像がつくようなつかないような味なので今度作ってもらおうかな、でもそのとき俺が病人になっていたら嫌だからやっぱりやめておこう。食のこととなると貪欲になってしまって自分でもコントロールが効かない。すべての活力の源なのだ、食事とは。俺はそれを体で知っているだけで。 全部食べれたな、偉いぞ、と褒めてやれば、母さんの料理は残せないんだ、と彼は苦笑した。先ほどよりは幾分か調子はよさそうだったけれど、頬の赤みはいつまでも引かなかった。横たわる体は壊れてしまった玩具と同じだ。メンテナンスが必要なのだ。 「僕、少し休むね」 ごめんね、となぜかセイは謝ってゆっくりと瞳を閉じた。悪いことなんて何もしてないのになんでそんなこと言うんだ。怒りや焦燥感より悲しみがじわりと広がっていく、不幸は侵食して、なにもかもを征服しようとしていた。 なあんにもできないのな、俺は。胸の奥にこぼれていくため息は誰にも聞こえない。彼にしてやれることなんて何ひとつないのだと、せいぜい彼の作ったガンプラ操縦するくらいだと途方に暮れてしまいそうになる。それだけで十分だよと、セイはきっと言うだろうけれど。 もしかしてこの苦しいやつが俺に移れば、病気は治るかもしれない。少し悩んで、扉が閉まっていることを確認してからそっと寝顔に唇を寄せた。瞬間、気配に気づいた彼の大きな目がつ、と開く。猫みたいにつるりとした眼球だ。 「そんなに近くに寄るとうつるよ、レイジ」 「……そうなんないかなって」 おもったんだけど。そう観念して呟けばなんだか決まりの悪い顔をして、ばか、とセイは肩を竦めてみせる。 「そうしたら、困るの、僕だろう」 至近距離のままふわりと揺れた赤い髪に手を差し込んで、形成されて日の浅い少年のやわらかな手のひらが、骨の形をなぞるように、撫でる。愛おしそうに、あまりに優しくそれは触れたのだ。昼下がりのまどろみの中で、とろとろとセイの瞼が溶けていく。まだ食べたこともないのに、おかゆみたいだ、と俺は思った。 #おかゆ |