寒咲さんは口寂しくなると無意識にやってしまう癖がある。机を二度、とんと指で叩く癖。小刻みに不安定に揺れる心のリズム。それからいつもの8ミリのフィルターに手をかけるのだ。その煙草の銘柄は、一般的なそれよりも小さな箱に入っている、鳥の翼の描かれたピース。ただ小さいから持ち運びやすい、と彼は言っていたから意味なんてないだろう、平和を願っているだなんてあまりに馬鹿げている。

「さみしいの?」
ここにいたことが当たり前だったかのように、のれんから顔を出すと、換気扇の近くでぼうっとしていた彼は不意の出来事に驚いたようで、漂っていた白い煙は嘘のように消え失せる。換気扇がごうごうとうねり、小さな橙の光は揉み消されて、何事もなかったかのように。
「なに、いたの?」
いたの、じゃないよ。ずっとこの目で見てきた。真実も、夢も、幻も、打ち砕かれる現実も。
「見てたよ、ずっと」
(伏せた目線の下もしくはその瞼によぎるように描かれるそれは何?)
はは、なんて渇いた笑い方をして平静を装って、なんとなくわかるよ、無理矢理空気を埋めようとしてるの。じっと見つめていると、瞬きしながら逃げるんだ。
隙を探して、ゆっくりとそのかさついた唇を重ねてみる。触れるだけのそれは簡単に離れるのに、ふいに手繰るように引き寄せられて、はっと息をのんだときには舌がねじ込まれていた。肩を僅かに揺らして、距離を置く。中途半端で放置する、たちが悪い。そういう男だった。
(したい、あんたと)
キスしながら辿っていく、気持ちを止められなくて、ベルトのバックルに手を掛けたときようやく、ひきつるような、戸惑うような顔つきになった。俺はそれが見たかった。それでも行為をやめない俺に、同情なのか、愛情なのか頭に手のひらが乗って、時折耳まで撫でられる。
「したい、しようよ寒咲さん」
苦い顔をしているのは、きっと寒咲さんは金城さんの無垢さを忘れ切れないでいるからだ。この人は金城さんが好きで、金城さんもまたこの人のことが好きなのだろう。それでも、求められることに弱いこの人はなんてずるい大人だ。

明日になれば、あの煙のように全てなかったことになる。空気のように消えてなくなるのだ。
痛みで目に涙を溜めながら、俺があの人だったらよかったですね、と小さく呟いたときの寒咲さんは、驚きに一瞬目を見開いて、それから顔を歪めてああ、と言った。最低な大人だ。


# 最 低 な 大 人  ...20100120