何の違和感も与えずに俺の部屋に上がり込んだ真波は、何をするでもなくただベッドに寝そべって雑誌をめくっている。それも勝手にだ。どうしてこんな状況になったのか、あるいは果たしていつからこれが習慣になっていたのか、頭の奥が麻痺していてよく思い出せない。
なんか飲みもんいるか、と問えば、あまいのー、と語尾がだれた返事が返ってくる。
甘いのって、と悩んだ末にコーヒーに角砂糖を二つ溶かしてみる。自転車がなければきっと俺たちに残されるものは何もない。あったとすれば、カップの底で溶け残る甘いシロップぐらいなものだろう。
ありがとう、と笑って受け取る真波に悪意は感じない。じゃあこの気持ちはなんだろう。どろりとしたものが胃から込み上げるみたいに、その内側がよごれていくのを、俺はいつから許してしまっていたんだろう。
「俺、ほんとうは、お前になりたかったよ」
するりと吹き抜ける目の前のこいつが持ってる風みたいに、それは俺の口から通り抜けていった。見つめ続けているカップの中のブラックコーヒーは名前通り真っ黒で、得体が知れない。
渦巻いているのだ。飲み干してしまいたい、捨ててしまいたい、自分そのものを見ているようで――実際にそこには俺が映ってしまっていたので――なかったことにしてしまいたい。最初から。
「欲しかったら、手を伸ばせばいい」
それこそ福富みたいに?そう言いかけて声にはならない、まっすぐな瞳が、その正しさしか知らない眼差しが、いつか俺を殺そうとしているんだ。
動けずにいたらカップに添えていた手を取られる、あっという間に引き寄せられて、手の甲にゆっくりと唇が触れる。
「あげてもいいよ」
先輩になら。

さらりとしたやさしい唇の感触は数秒で消えていく。そのまま頬を撫でてやれば、すっと目を細めて気持ちよさそうに、そしてこちらに不快感を与えずに擦り寄ってくる。動物でいうと気まぐれな猫みたいな。本能的にどうすれば相手が満足するのかわかっているのだろう、真波のそういうところが時々すごく、怖い。悪意を感じないのは本当かもしれない、でも真波は天使なんかじゃなくて悪魔だ。そしてこれは、悪夢だ。
笑えないな、俺は福富のことが好きなのに。
「コーヒー、飲んだら考える」
すっかり冷めてしまったそれを思いながら、それでも真波の表情を伺ってしまう自分がいた。
そっかあ、と残念そうに肩をすくめるいつもの真波がそこにいて、安堵する以上に拍子抜けしてしまう。後腐れのないことはいいことなんだろうけど。そうじゃないんだって、真波、わかるか?お前、もしかしないでも数分後には俺のベッドの上ですやすやと、それも安らかな顔で眠っていたりするんだろう。
……理解できない。

# 理 解 で き な い  ...20091120