どこの家の子供も眠りについているであろう頃合に、俺は屋根裏部屋をそっと抜け出して、秘密の場所へと向かった。
誰もいない夜をひとり、駆け抜けていく。通い慣れた道、本当は目をつむってだって歩いていけるのに。鳥のように両手を広げて、目を閉じかけて、やめた。
俺はこの足元のアスファルトの温度だって知っているし、誰かにぶつかってしまう心配もない、ましてや膝が擦りむけたって平気だった。だけど、ほんの少しだけ、自分にとっておそれを成すものが存在した。幼いころは怖いものなんて何もなかったはずなのに、あるとき小さな綻びができてしまった。誰かを失うという漠然とした不安は、ときどき俺を臆病にした。

辿りついた先には、自分の身長の何倍もある高い塔があった。骨組みだけの鉄骨むき出しのそれは、俺の城だった。
久しぶり、とそいつに向かって話し掛けるけれど、当然返事はない。ここに来たのはいつ以来だったっけと赤く塗られた階段を登りながら考える。
カンカン、と甲高い音がどんどん早くなっていく。俺の小さな頃の記憶も、この階段を踏みしめる度に薄くなっていく。
登り終えて大の字に寝転がると、めいっぱい息が上がっていて、その必死さに笑ってしまう。乾いた笑い方だった。次第に虚しさが込み上げて、こうして俺は大人になってしまうんだと思った。背だってこれからもっと伸びて、声も低く変わって、それから。
起き上がれば、きらきらと輝く街の明かりが飛び込んでくる。今は少し悲しい、その光。
ただ夜景を眺めてぼんやりとしていた。何を考えるでもなく、頭の中を空っぽにしてしまう。
しばらくして、俺はようやくその存在に気がついた。いつの間にか隣には、じっと息を潜め体育座りをしているアストラルがいたのだった。俺は目を見開いて、いつものように話しかけようとしたけれど、食い入るようにその景色を見つめている彼の姿を見て、俺も黙っていた。
ふたりでいるのにただ風に吹かれていると、このまま誰も彼も消えてしまうんじゃないかって、そんな気持ちになる。
そのとき、一瞬の光が、夜空に走って消えていった。
あ、と言葉にしたときにはもう遅い。流れ星だった。ふとアストラルの視線を感じて、今のが流れ星なのだと説明してやった。
「流れている間に願い事を3回唱えると、叶うんだ」
願いが。
アストラルは瞬きをひとつして、そうなのか、と答えた。いつもの静かな、落ち着きのある声で。
(お前なら何を願う、だなんて、決まってるよな)
宝石でも散りばめたかのように煌く夜空に、一瞬で消えていったあの光、あの星。
美しいものを見たあとって、どうしてこうも胸が切なくなるんだろう。心臓のあたりを、手でぎゅっと押さえつけた。
「このへんに、ときどき埋まらない穴があってね」
うまく笑えている自信がない。俺は今、どんな顔してお前に話しかけてる?
夜の湿った風が吹き抜けていく。一寸先は闇だ。
「だから今日は、誰にも教えていない秘密の場所に来たんだ」
お前にはばれちゃったけど、とそう付け加えると、アルトラルは、胸に穴が開いているのか、と大真面目に切り返してきたものだから、俺は思わずむせてしまった。ああそうだったこいつはなんにも知らないんだった、とひとしきり笑いを堪えるので精一杯だった。その態度にアストラルはむっとしたのか、軽い身体を投げ出し、宙を浮遊しながら逆さになって、俺の目の前に姿を現した。
夜景の光と重なって、覗き込む目はまるで宇宙のようだ。俺だけに見える、羽根のない天使。
(金色に透けて、お前が、まぶしい)
まぶしくてまぶしくて、たまらないんだ。半透明の身体も、その瞳の輝きも、俺しか知らない。
少し遠くから見ていたいんだ、じっくりと時間をかけて、じわじわ心が感染していくのを待って、それからようやく抱きしめたい。
(さわって、抱きしめて、永遠にしてしまいたいんだ。きみのこと)
胸の奥がどうしようもなく、痛い。アストラル、と名前を呼びかけると、顔だけで、俺にしかわからないくらいの変化で返事をしたのがわかる。
「目、つむって」
触れられるはずのない、その身体。透明でまっさらな、その心。
瞼がきれいに落ちていくのを見届けながら、背伸びをして、唇をそっと合わせた。
全部全部伝わればいい、俺たちは出会ってからいつだって、ふたりでひとつだったから。
目を開けて、もう一度アストラルの姿を見た。後ろに広がる夜景が美しく、映えている。
(胸に空いてしまった穴は、たった今埋まったよ、アストラル)
もうじき夜明けがやってくる。俺たちを迎えにやってくる。
「ありがとう」
もういいよ、と囁くと、遊馬、と自分の名前を呼ぶ、優しい声が降ってくる。きっとこれは、神様からの贈り物。
俺にとっての、ただひとつの光。


#ある光