「陸上選手が、他のスポーツ選手より短命なことはご存知ですか?」
ベッドの上に二人寝転がって、息を整え、ようやく汗が引いてきた頃に巳波は突然投げかけた。
「一体なんの話です?」
ナギはきょとんとした顔で、巳波のほうを向いた。美しい金色の髪が額にはらりと落ちていく。日波は銀杏の落ち葉でも拾うようにそれを盛え、上半身だけゆるく起こした。
しなやかな動きは女豹のようだとナギは思うけれど、実際に女豹は見たことはないかもしれないとも思う。だってそれは雄だったかも。
巳波は目を細め、うっとりとした表情を浮かべながらナギの胸の中心を丁寧に撫でた。
繊細なガラス細工に触るかのような慎重さで。そうして顔を近づけて、心臓の真上に耳を当て、その音を聞いた。
「人間は死ぬまでに心臓の鼓動の回数が決まっていて、最も早まると言われているのが陸上なんだそうです」
相変わらず何の話をしているのかわからないナギは、ただ日波の動向を見守る。いつもそうだった。巳波のすることに対し本質的な理解を得るには、最後まで我慢強く話を聞くこと、これが一番だ。
「あの人の最後の音を、私たちは聞きましたね」
ああ、とナギの澄んだ青い瞳が寂しげに揺れ、巳波が聴いている心音もまた、どくんと大きな鼓動が響いた。深く深く沈み込むような音だ。
「……そうですね」
美しい音楽とともに、その音はいつしか途絶えてしまった。叶うなら、永遠にしてしまいたい音だった。穏やかで、あたたかくて、誰にでも優しくて、巳波には一番をくれなかった、ひどく冷たい音もよく覚えてる。
「あなたの音も、とてもきれいです」
耳を離すと、巳波は儚げに微笑んでいる。ゆるゆると肌の上を名残惜しそうに指の腹でなぞって、もういない誰かに触れられないことを思っている。
ところで今更なんですけど、と巳波は前置きして、テーブルランプの明るさを少しだけ上げた。
「北欧の方は肌が白いんですね。日本人の私とは、こんなに色が違う」
日波も色白なほうではあったが、それでも肌の白さ、きめ細やかさ、滑らかさが違う気がして、そんなことを口にする。
「もっとも、私が愛した人は、日本人でしたが」
ブランケットにくるまりながら、悪戯に笑ってみせる。嘘ではないが、もう半分は嘘だった。
「ワタシが愛した人も、日本の人たちばかりです」
ナギは起き上がり、巳波をゆっくりと押し倒して顔を覗き込んだ。ナギはこんなとき、まっすぐで、子供のような目をしてやわらかく微笑むのだ。
「ハルキも、ミナミも」
わざと名前で呼ぶと、ナギは祈るようにこめかみにキスをして、日波の髪を撫でた。

目の色も、髪の色も、肌の色も違う。国も、人も、関係ない。この星に生きている限り、正しさは誰のもとにもあり、様々な形となって現れる。
巳波にとっての正しさは桜春だった。何度も、してはいけないことをしたような気がする。一方で、六弥ナギという人間に教えられたこともたくさんあるし、許せないこともまだ、ある。もしかするとそれは一生消えないかもしれない。だから、許せなくてもいいのかもしれない。
そうしてたくさん間違いながら、音を鳴らして生きていく。何回でも傷ついて、泣いて、最後には笑いながら、それでも私たちは、愛し合う。


# F R E E D O M