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兄さん、と言いながら精道を迎えた弟を知っている。 十八歳になって、はじめて彼女ができそうになった。もともとは自分の追っかけをしてくれていた女の子で、告白をしょうか悩んでいたところに、彼女から付き合ってなんて言わないから、と体だけの関係に落ち着いてしまったのだった。年上だった彼女に流されて、機会を失ってしまった。大切にしたかったのに、心とは裏腹に体は素直に反応してしまう。 三月はある日、彼女を自宅へ連れてきた。一織は中学三年生で、受験を控えているので今頃自室の机に向かっているだろう。親は仕事で忙しく、こっそり連れてきてもばれなかった。三月は一織が隣の部屋にいるとわかっていて、セックスをはじめた。親にも、ましてや可愛がっている弟にも紹介しないということは、本気じゃないのだと一織にも伝わるはずだ。 壁は薄く、声は筒抜け。当てつけのようにはじめたそれを一織はどう思っただろうか。 三月にとって一織は、なりたいものぜんぶ、ほしいものぜんぶを手にしていた。成長痛で膝が痛いと言って、急潡に伸びていった身長。大きな背丈、長い手足、清廉され大人びた顔つき。可愛い三月とは正反対の、かっこよくて男らしいクールな外見。 三月は一織が好きだった。大好きだったし嫉妬もした。ただただ羨ましかった。純粋な気持ちのまま、一織にとっての「兄さん」ではいられない。そんなドロドロした気持ちが胸の奥を這うたびに、苦しくて、逃げたくて、叫び出したかった。 それから一織とは距離を少しだけ置くようになった。家族には気づかれない、そんな些細なニュアンスで線を引いた。一織はどう思ったかな。 アイドルグループを結成して、少しずつ軌道に乗り始めたころだった。未だに自分のコンプレックスは解消されないし、背だって伸びてない。アイドルになれたところで、理想の自分とはかけ離れている現実は変わりない。こんなの誰にも知られたくない、わかられたくない、同情なんて死んでもされたくない。特に一織には。 撮影やら何やらで帰りが遅いメンバーが多く、寮には珍しく一織しかいなかった。メンバー紹介の際に、背の小さなほうがお兄さんなんですね、と言われることはもう何百回とあった気がするけれど、今日はなんだかひどくこたえてしまった。どす黒いものがお腹の中をぐるぐると這いずり回る。こういうとき、一織が気遣ってくるのはわかっていた。でも一番の理解者もその嫉妬の対象も、自分の弟だなんてやりきれない。 「兄さん」 ノックの音と共に、いつもと変わらない一織の声がする。 「悪い、一人にしてくれ」 自自棄になって、やさぐれた気持ちのままそっけない返事をした。今は放っておいてほしい。 「……嫌です」 拒否したはずなのに、一織は勝手に部屋に入ってきた。逆光で表情がよく見えないが、いつもと様子が違う。一織は俯きながら、水滴が落ちるみたいにぽつりと呟いた。 「知ってますよ、兄さんが思っていたこと、ぜんぶ」 聞いたこともないような低い声で、泣いていないのに泣いているみたいな、それ。一織は何を思ったのか自らシャツのボタンをひとつひとつ外し始めた。丁寧で華奢な指先。 ふいに、初めて触れた女の子の肌を思い出す。 「憎かったでしょう」 ずっと、ずっと、私のことが。 皮肉ぶって顔を歪めながらそれでも笑ってみせる一織の、熱を宿さないダークブルー の瞳。 「私は兄さんにはなれないですが、あげることなら、できます」 ばさりと落ちたシャツに、出来上がってない薄い体が白く浮き上がる。十七歳の未発達な体はところどころ骨張って、美しい曲線を描いていた。 「なにしてんだ、一織」 「私は兄さんが好きで、好きで……兄としてではなく、好きで、そういうのも最初から兄さんは知っていた。そうでしょう?」 だからあのとき彼女を家に連れて来た。 言葉も出ず、すぐさま否定をするには頭の中を整理しなければならなかった。わかるように仕向けたのは自分のくせに。 「ショックでしたよ。知らない女性が兄さんと性行為をしているなんて」 一織は三月をベッドに追いやって、そのまま押し倒すと顔をくしゃくしゃにしながら、やっと笑ってみせる。精一杯の虚勢で、ありったけの情で、これまでの着実に積み上げてきた現実を破壊する。 「やめろ、一織」 抵抗という抵抗もできず、寝巻きのスウェットを乱暴に下げられて、大きな手のひらが欲を持って降りてくる。 「弟である私は、いらない子でしたか?......他人だったらよかった?」 傷ついているのは自分ばかりだと思っていた。そんなわけがないのに、一織の気持ちを踏み開ったのは他の誰でもない。他人だったらよかったなんて一度でも思ったら、もう兄弟ではいられない。だから思わない。一生、それこそ永遠に愛しい弟であることには変わりない。どうしようもないのは自分の醜い嫉妬の感情だけだ。 「そうじゃない! 違う、一織」 「何が違うんですか?今、私が兄さんと、そういうことをしたいって思うことも、間違っていますか」 あまりにも直接的な告白に目を見開けば、ふいに薄くてやわらかな唇が唇をかすめた。 体がこわばって、瞬間息が止まった。弟とキスをした。してしまった。必死に感情を押し殺しているように見える一織はただ黙って、三月を見下ろしている。ああこれは、今にも泣きそうじゃないか。気持ちが伝染して、三月はさきほど奪われたばかりの唇を人差し指でなぞる。微笑むこともできない、役立たずの口先は次第に歪んでいく。 「間違ってるよ……でももうオレは、小さなころみたいに、きれいなままじゃいられなかった」 一織の美しい顔の輪郭を包み込むと、頬が氷のように冷たい。こんなに冷たくなるまで、一人でいたんだ。 「ごめん、一織……ごめん」 ぬくもりを預けるようにゆっくりと肩に手を回して、ぎゅうと抱きしめる。ひとりぼっちにしてごめんな、と言えば、一織は幼いころみたいに何度も何度も三月の名前を呼んだ。 誰にも言えない秘密。知られたら世界が終わってしまう呪い。残酷さは罪?嘘なんてついてない、口に出さないだけで。愛の種類が、他の人と違っただけで。 夜も更けて、賑やかだったリビングが静まり返る。三月は弟の可愛い顔が見たくて、 今日もその部屋をノックする。 # ぬ く も り を 預 け て |