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子供の寝静まる頃、明浦路司の携帯のコール音が鳴り響いた。着の名前を見やれば、画面には鴗鳥先生と映っている。 夜分遅くであることの謝罪から始まり、時間がないようで端的に用件を伝えてきた。 「様子を見てきて欲しいんです」 詳細はメールで送るとのことで、え、誰の? と問う暇もない。部屋が荒れてたら片付けてほしい、ご飯を食べていないようだったらそれもお願いしたいとのことだった。 何を言っているかさっぱりわからないまま通話は切れてしまった。 しばらくすると住所とともに一通のメールが届いた。書かれていた住所と名前は夜鷹純のものだった。入院して他人の心配をしている場合ではないのに、一体どういうことだろう。 翌日、一仕事終えて夜鷹純の自宅に向かう。少し距離もあったことから、到着したのは夕方過ぎだった。西日が眩しく、目に痛い。 事前に伺う旨を伝える手段もなく、突然の訪問はどう考えても失礼でしかない。辿り着いた場所は高層ビルではないものの、高級エリアのセキュリティのしっかりしたエントランスの広いマンションだった。 メールに書いてあった号室を押すと、数秒後、やっと反応があった。品定めされている気持ちになり無意識のうちに唇をぎゅっと結んだ。 「何か用」 「嶋鳥先生から、様子を見てきてほしいと言われました」 ありのままを伝えると、顔が見えないというのに今にも怪訝な表情を浮かべていることがわかってしまう。 「帰って」 「いいから開けてください」 舌打ちされて、オートロックが解除された。通された部屋に入ると電気はついておらず、薄暗かった。シースルーのカーテンから日が差しており、その線は夜鷹純のがらんどうの部屋を写し出す。必要最低限の物しか置かれていない部屋は生活感がまるでない。 時刻は午後四時半、床にはなぜかガラスの破片が飛び散っていた。片付けようともしない彼がいて、きらきらと輝くそれは今割れてしまったわけではなく、おそらく長い間放置されていたのだろう。 「……片付けてもいいですか?」 「君は何をしにきたの」 薄着でいる彼は明らかに痩せ細っていて、黒のラフなシャツから骨ばっているのが伺える。首筋や鎖骨が浮き出ていて、その布に隠された体にさわったらありとあらゆる骨が浮き出ていそうだ。 「わかりません。でも、あなたを心配をしている人がいることは確かですよね」 何でもいいから袋を探して、ガラスの久片を拾い集める。形や施された模様からすると花瓶のようだった。 「食事はしていますか?」 顔を見ずに、作業に集中しながら問いかける。 「君には関係ない」 ぶっきらぼうに返答されると、ますます苛立ちが増す。入院している鴗鳥先生がどんな気持ちで電話をかけてきたと思っているんだ。 「以前お会いしたときより、少し痩せましたよね」 散らばったガラスをまとめると、ぐったりとしている彼の肩に触れた。問診をするようにやや力を加えながら腕の筋肉の形をたどり、胸の中央から脇腹に沿ってみれば、助が浮いて骨の形が確認できる。 「やっぱり痩せてる」 抵抗されないことに驚きつつ、顔を上げれば狼のような孤独な目がすぐ近くにあった。 そこに怒りの感情はなく、静かに光る黄金の虹彩がある。 「食事をしましょう。これ以上病人を増やしたくない」 あなたまで倒れる気ですか、と強く言うと、西日に照らされて人嫌いな狼はそっぽを向いた。 彼は徐にガラスの破片に触り、うっすらと指に傷をつける。そうして血が滲むのをじっと見つめていた。 「手を放したんだ。色鮮やかに、美しく咲いた花をね」 だから僕は花瓶を割ったんだ。そう呟く彼の、なんとも言えない多くの感情の入り混じった表情に、息を呑んだ。どんな言葉をかけることが正解だったのだろう。 後々その意味を知るけれど、どこか嬉しそうでもあったそれは諦めと誇らしさがあったような気がして、思い返しては胸を締め付ける。彼にとって彼女はどんな存在だったのだろう。 二人にしかわからないこと。西日に包まれて、目が潰れるくらいまぶしすぎて消えてしまうそれらのこと。いつしか深く暗い夜が来て、彼の手のひらからそれは何度でも飛び立って光り出す。あまりにも大きく、誰も寄せ付けないくらいの強さで金色に輝く光。 瞼の裏で描くのは少し先の未来だ。 # 割 れ た 花 瓶 |