何気ない日常の一コマでそれは投下された。コードでいうと書き出して何行目かの雰囲気で。
「後ろでするのって、普通にセックスするより気持ちいいんですか?」
ソファで隣に座る仁は、くったりと肩に頭を預けている。そんな、今日の晩御飯何にしますか? みたいなトーンで話さないでほしい。
「え、何、急に」
驚きに目を見開いて、答え方に考え倦む。気持ちいいよとは素直に言い難いし、テクニックや感じやすさの話だったらそれこそ気恥ずかしい。無言でいるのも限界で、相性の問題じゃないの、と逃げることしかできなかったし、なんだか嫌な予感がする。
「悠馬さんは、今まで女の子をどんなふうに抱いてきたんですか?」
「いや、どんなって」
「俺、興味あります」
ぎゅん、と芯の強いまなざしを向けてくる仁に、以前も困惑しながら断った記憶があるな。
「意味わかってる?」
はあ、とため息が斜め45度に落ちていく。
「だから、悠馬さんが俺のこと女の子だと思って、してみてほしいです」
子犬のようなきらきらした目で見つめられると、胸のど真ん中を撃たれた気持ちになるからやめてほしい。こちらの心情を察したのか、すぐさま大丈夫ですとありったけの笑顔でフォローを入れてくる。そういうやつだよお前は。何を根拠に大丈夫なのかを問い詰められる前に、すくっと立ち上がって道を塞いでいく。そうやって俺の思考を先に読み切って、いつでも仕事が早いところだけは変わらないな。降参するつもりはないけれど、一度起動したプログラムは止められないし、簡単に軌道修正もできない。
「シャワー浴びてくるので待っててください」
半ズボンから伸びる、筋肉質な足が無駄な動作なく動く。タオルや着替えがどこにあって、という共有がもういらない。昔は床に適当に置いていたものたちが勝手に片づけられているくらいだ。仁にとってここは他人の家だったはずなのに、自分の家みたいになっているのだろうな、とその足取りを見てようやく自覚した。
仁がシャワーを浴びている間、どうするかなと手持ち無沙汰に天を仰ぐ。俺、これからどうしたらいいんだっけ? まるで進路に悩む学生みたいな気持ち。これまでの経緯を書き出して整理した方が早そうだけど、とっ散らかったコードって無駄なだけなんだよな。
時計の針を何度見ても時は思うように過ぎず、困惑だけが極まっていく。針の動きはびっくりするほど鈍いし分数だってそう変わらない。時間が経つのが遅すぎて、だんだん心配になってきた。今からするぞってときに待つのってこんな感じだったっけ? 先にシャワーをしに入ってしまうと仁はよく風呂場に潜入してくるけれど、こういう心理からかと思う。これ以上待つのも限界で、とうとう痺れを切らして風呂場に向かった。
「いつもこんなに大変なんですか」
開けたら開けたで中身はびっくり箱だった。仁が今にも泣き出す寸前の赤ちゃんみたいに、すんすんと鼻を鳴らしている。いや、もう泣いてんじゃん。
「だからやめとけって」
言ってるだろ、という言葉を遮られた。
「いやです」
絶対に嫌です、そう言って聞かない仁の姿、前に見たことあるし知っている。何回目のデジャビュだよ。もういいから、と腕を引っ張ると腰が抜けてしまったようで、ずるりと落ちていくのを咄嗟に支えた。服が濡れるのも気にしないで抱き上げてやると、かっこいい、といつになく様子がおかしい。いや、最初からずっとおかしいんだけど。
「このまま連れてって」
かわいこぶっているのがわかるが、しかし実際に可愛いので更なる苛立ちを覚えた。そういうところ、ほんとずるい。はあ、と本日何度目かわからないため息をつきながらベッドに適当に転がすと、シャワーは浴びないでするんですね、などと言ってくるのでますます頭にきてしまった。
「しないよ」
本当にするつもりはないので、タオルを持ってくるために離れようとしたら、服を掴んで引き止められた。
「もしかして怖いんですか?」
「そういうことじゃないでしょ」
そんな安い挑発には乗らない。間違ったプログラムは修正しないと再起動させられないし。
「俺、悠馬さんになら何されてもいい」
そういう甘え上手な言葉と、真面目な表情に今度はみぞおちがきゅっとする。顔を引き寄せられれば、ちゅっと音を立ててキスされた。潤んだ目でこちらを見上げて、そんな可愛い顔をされたら誰だって絆される。
「はるまさん」
好きです、大好き。取られた手のひらを頬に当てて、動物みたいに人懐っこい仕草で上目遣いをしていて、だからお前は俺をどうしたいんだよ。
はーっと盛大に長いため息をついて、何もかもを諦めて服を脱いだ。抜け殻みたいに、床にやるせなく衣類が散らばっていく。
仁を組み敷いて見下ろすのって新鮮だ。確か一度だけこんなふうになったような気がするが、ここまでしっかりと覆いかぶさってはいなかった。伸びましたねと垂れた髪をさわられて、指先がそのまま額に向かう。
「眉間に皺寄ってます」
仁は人差し指と中指で、呑気に眉間を伸ばして遊んでいる。
「誰のせいだと」
「早くしないと湯冷めしそうです」
仮で掛けたタオルケットを取って、まだ若くてハリのある素肌を見やる。仁の体は筋肉が程よくついていてしなやかだ。
「……うまくできないかもしれないからね」
ん、と返事を聞く前に唇を塞いでやった。女の子とするみたいにってなんだよ。思い出して脳内で一人でキレた。それとこれとは全然違うし、仁にされることでしか気持ちいいなんて思わないのに。
キスしながら舌を入れてもいつものような積極性はまるでなく、こちらが動けば応えるような、そんな具合だった。お前のいう「女の子」を徹底するなよ。もやもやしながら仁を見下ろす。いつもとは違う見え方の、世界でたった一人の俺の恋人。
「胸、触ってもいい?」
頷かれて、少しいじってみるけどあまり芳しい反応ではなかったので、いきなり舐めてみた。すると、うわっと驚きの声が上がって、顔を真っ赤にしながら腕で顔を覆うのに、仁はちらちら隙間からこちらを見てくる。どっちなんだよ。
「視覚的にまずいです」
「それ、前にも言ってたやつ」
「だって、悠馬さんが、俺の乳首舐めてる……フェ……ラも無理だけど、これも無理……」
視覚的に無理、と叫びながら、うっ、とか、あっとか変なふうに喘いでいるので、なんだか面白くなってきた。
「後ろ舐めたらお前どうなんの?」
「死にます」
ははっ、と笑い飛ばしてしまったけど、別にしたってよかった。何されてもいいの返事は、なんでもしてやれる、だからだ。
ローションを塗った指先で性器の近くまできて、ゆっくりと後ろをほぐしていく。中指の第一関節、第二関節。そんなふうに丁寧に慣らしていくと、攻める側の気持ちがわかって新鮮な発見がある。
「も、はやくいれて」
焦れたのか、普段と違って余裕なく懇願されると悪い気はしないし、こちらも限界だった。
「わかった。いれるよ」
ひゅっと息の抜ける音とともに、少し強めに押し入った。いつも仁にどうされると気持ちいいんだっけ。全然思い出せない。奥の方を突いてきたり、いいポイントみたいなものがある気はするけど、仁が勝手に動いているのを主体的にトレースすることは困難だ。人によっていいところも違うだろうし。考えながらゆっくり抜き差ししてみるけれど、つらそうで見ていられない。汗ばんだ黒髪を撫でるとふにゃ、と笑って、本当は苦しいだろうに、仁はお腹の下の方を撫でてからとびきり嬉しそうな顔をした。
「はるまさんの、はいった」
ブチっと血管が切れるような感覚があって、気がつけば腰が勝手に動いていた。上顎を舐めるみたいに中を擦ると、アッと声が変わる瞬間があった。
「ねえ、ここ、いいの?」
「あっあっわかんな、え、何、」
珍しくパニックに陥っているので、わざと間髪入れずに皮膚をパン、と音がなるほど合わせて何度も打ち付けると、仁はどんどん快感に呑まれ、身悶えていくので煽られる。
「気持ちいい? 俺は、すごくいいよ」
あ、あ、ん、きもちい、と唾液を口の端から垂らしながら、こんなに蕩けてだらしなくなっているのが見れるのは自分だけだろうといい気分になった。
──可愛いな、可愛い。俺はずっとお前のことが可愛いんだ。
汗がこめかみを伝ってぽたりと落ちた。セックスをすると、気持ちよさだけじゃなくて、嬉しさや苦しさ、切なさとか、相手から受け取るものと色んな感情が混じり合って体中で飽和する。
「おれも、はるまさんと繋がれて、うれし……」
自分がされて嬉しかったことをしていると思うと、なんだかこそばゆいようなそんな気持ちがした。
何度もキスをしたり愛撫をしたり、指を絡めたりして、そのうちに二人して果てた。いつもと同じで余裕なんてなかったし、仁はどう思ったかわからないけど、個人的にはポジションなんてどうでもいいというのがひとまずの感想。バテたので事後のまま寝転がっていると、いつもの仁に戻っていた。アーモンドの形をしたきれいな目に、照明の光が一筋入る。
「……よかったけど、次は俺が悠馬さんを抱きます」
「言われなくてもする気ないよ。もう十分わかったから」
「何がですか?」
──気遣いとか、真剣なまなざしとか、熱っぽい表情とか、優しく触れる指先とか、余裕のなさとか、動く時の激しさとか、甘い声とか言葉とか、そういうのぜんぶ。俺だけのものだってわかってしまったから。
「一生教えない」
いつも仁からもらっている何気ない言葉や、一生とっておきたい一瞬の出来事、はにかむ可愛い顔、そういうものを入れておく秘密のフォルダが頭の中にある。その中に今日のいくつかを入れた。
「悠馬さんのいじわる」
「もう寝るよ」
わかりました、と素直に言うことを聞いてしまうところがこいつの美徳だし、そっけなくもあるなと思う。そういうところも好きだけど。
「おやすみ、仁」
頭のつむじに優しくキスをして、背中から体を引き寄せて胸の中に抱いた。
「え、悠馬さん、どうしたんですか、俺、ときめきで死んじゃいそうです」
「明日起きたら生きてるよ」
実際には寝て起きた瞬間から仁は俺より元気だろう。密着しているところから、どくんどくんと心臓の音が鳴る。仁にも聞こえてるかな。本当はまだ少しだけ緊張してるって、ばれないといいけど。
まだ眠りたくなくて、ゆるく瞬きを繰り返した。……仁の頭ってなんでかひまわりを思い出すんだよな、と先ほどキスしたばかりのつむじをじっと見つめる。ブリーチした毛先が少し傷んでいる。可愛いな、毛先まで愛おしいな。伝わってくるあたたかな体温と共に、とろんとした眠気がようやくやって来た。
明日になっても明後日になっても、どっちが抱いても抱かれても、愛おしいことに何一つ変わりない。正解なんてなくてもこれでいいのだと思いながら、眠気に促されて目を閉じた。明日になっても、生きている。


愛おしい日々