インターネットの中だけが、俺の全てだった。そんな時期が人生でいっときあった。自分自身がむきだしのままいられる唯一の居場所であり、心の安寧であり、悪いことだってできるくだらない孤独な遊び場でもある。大人になった今ですらそれは延長線上にあった。 インターネットは時に出会うべくして出会ったような奇妙な巡り合わせを起こし、俺は一人の少女と出会う。これを運命と呼ばずしてなんと呼ぼうか。これ以上熱くなってしまう前に、一つ小話でも。 ──忘れもしないあの冬の日。関東では珍しく雪の降ったさいたまスーパーアリーナ。スノーハレーションという曲がよく似合うライブの帰り道、大雪の影響で電車は止まり、寒さに凍えながら歩き続けて、帰路の途中で食べた牛丼の味は人生で一番といっていいほど美味かった。何度擦ったかわからないこの話はいつしか伝説となったのだった、めでたしめでたし。もう十年以上前の出来事だということを、心の目で見つめている。 卯月コウと名乗る前から、自分は自分であるという証明を何度だって叫び続けてきた気がする。Vtuberになったのも、キャラクターを持ちつつ声だけで、言葉だけで誰かに認めてほしかったからだ。 匿名性を帯びない現実の自分はどうだろう。朝起きて朝食を済ませ、スーツに着替えて行くところといえばなんの変哲もない普遍的な会社だ。元々いた会社に個人情報漏洩をしないことを約束した上で、俺は大手配信企業に属しリアルでの社会生活を維持した。もともと大学は卒業できず、そのまま就職をして働いていた。 人間としての自分はお金には困っていないが、自分が卯月コウだと知られてはならないので生活を営む上で声にはかなり気を使う。いつか大声で叫んでみたい。渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で、俺はここにいる! と晴れた空に向かって全力で叫んでしまえたらどんなに愉快だろうか。 俺は大人で社会人であるからして、ある程度のルールは守らなければならない。何回も破ろうとしてマネージャーには怒られている。というか懲りずに何回も破っているが。 先述の、運命と言っても過言ではない一人の少女について話をしよう。 無邪気でまぶしくて色褪せることのない、唯一無二の世界観を持つ彼女。時折わがままで、女の子特有の禍々しさも垣間見えるけれど、純粋でまっすぐで尊さすら覚えるきれいな感情に、幾度もはっとさせられてきた。今も彼女は、自分の中で雪の日の帰り道に見たまぶしい光の反射の中にいる。ひまわり畑の中に埋もれてはしゃいでもいるし、水族館の大きな水槽で回遊する魚の群れをぼんやりと見てもいる。俺とは違う学校に通っていて、放課後にシール交換をしたりしているのだ。 概念はときに残酷だ。以前、配信で「コウくんが女の子だったらよかった」と言われたことがある。そのとき彼女はどんな気持ちでその言葉を口にしたのだろう。女性にしかわからないニュアンスを孕むそれを、その重たさを完璧に理解することは不可能に近かった。 途方もなく遠いところにいたから、俺はうまく笑えなかったんだ。ひとつになれたかもしれないのにねと言われたような気がしたし、簡単に片付けていいものでもなかった。それでも男としての自分で彼女に出会えたことが奇跡であり、一生に一度しかない大きな運をここで使っちゃったんじゃないかとさえ思っている。出会えてよかったと、心の底から思っている。伝わっているといいな。 配信を通して、初期のインターネットや自身が十代の頃に受けた影響について、薄暗いことや後ろめたいことを小出しにしつつも、尊く美しい感情を胸がいっぱいになるまで享受していたように思う。 初期衝動というものはどうしてこうも、最初だけインパクトを与えて崩れるように落ちていくのだろう。今がよくないというわけではなく、重ねた年月の積み重なりにより、相互理解の深みや新たな発見があることもまた事実だが、若い頃に経験したあの一瞬のきらめきのようなものに焦がれてしまう。 戻りたいわけでもないのに、忘れられない感情の昂りがある。線香花火のように消えてしまった儚い火花。 現実では仕事があり、趣味のようなものとして配信がある。あまりにも人生が満たされている。これ以上何を望もうか。 いつどのように、消えてしまおうかと時折考える。冬に生まれた十三歳の俺たちが、桜の舞う春に巻かれうだるような夏の夜の線香花火のように弾け散る、セピア色の秋にはすっかり忘れ去られ、つぎの冬に白く淡く消えていく。明日はいつまでたっても明日のまま。そんな未来がいいとさえ思う。 コウくんと呼ぶ彼女の甘く柔らかな声と、りりむちゃんと返事をするだけの関係が、救いのような、学生時代の変わり映えしない毎日のような、たったひとつ確信できる出来事だったんだ。世界に絶望しても君だけは俺のことをわかってくれるんじゃないかって。そんなの思い違いかもしれないし、それでいいとも思う。 いつまで走り続けられるのか、いつまで笑いながら喋り続けられるのか、見ものじゃないか。生まれてから死ぬまで無我夢中で叫び続けている、年月がどれだけ積み重なろうとも、そこに誰かの呼応があると信じて。 俺の人生は俺が決める。俺とは違って世界に愛されている彼女はどうだろうか。答えはいらない。 冬に生まれた俺たちは |